読書逍遥第153回 『「私」のいる文章』森本哲郎著1979
冨田鋼一郎
有秋小春
風薫る五月に思い浮かぶ人物は正岡子規
爽やかな季節であるはずの皐月を、不治の病、肺結核の悪化に悩まされ、忌まわしい月となってしまった気の毒な人物。
最初に喀血したは1888年(明治21年)8月。鎌倉旅行最中。
翌1889年5月、最初の大喀血。水戸旅行後。学友の漱石が見舞う。
⭕️ 卯の花の 散るまで鳴くか 子規 子規
⭕️ 鳴くならば 満月に啼け ホトトギス 漱石
1895年5月、2回目の大喀血。従軍記者として日清戦争帰国船上で。
病とともに花を開かせた創作活動。もし抗生物質があれば、苦しまずにすんだはずだ。
正岡子規(1867-1902)
32歳、糸瓜忌9月19日。
柴田宵曲(しばたしょうきょく1897-1966)
俳人・歌人・随筆家・書誌学者。博識で、談話筆記・編集・校正に長じ、知友の著書の刊行に貢献した。
宵曲は、子規の書き方遺した膨大な文書を清書し、最初の『子規全集』大正期アルス版の刊行に貢献。子規に最も知悉した人物。裏方に徹したため、世に知られなかったが。江戸明治の文芸に関する博識、簡潔な文章には隠れファンが多い。