読書逍遥第207回 『南蛮の道』司馬遼太郎著
『南蛮の道』司馬遼太郎著
バスク地方 Basque
史的な領域としてのバスク地方は、バスク人とバスク語の歴史的な故国を指す概念である。ピレネー山脈の両麓に位置してビスケー湾に面し、フランスとスペインの両国にまたがっている
あまり馴染みのない地名だが、ガリシア地方サンディエゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路にあたる。
固有の言語、文化を誇りにしていて、スペイン国内の南バスクは、広範な自治権を持つ。
イエスズ会フランシスコ・ザビエルはバスク人である。
司馬遼太郎がここを旅した写真紀行本。
言文一致体の日本語の文章は、漱石によって確立されたと言われる。
司馬遼太郎は、その漱石の比類なき格調高い文章スタイルを継いでいるように見える。
☆☆☆☆
「(バスク人は)しかし、今は違う。
むしろ少数者であることに、その得意な文化の中に身や心を寄せ、その文化に包まれ、その上で、小さな単一ながらひとつの文化を共有することこそ、真の心の安らぎが生まれる、ということに、バスク人は気づき始めたのである。
バスク人は知的な民族である。だからこそ、例えばアジアなどに多い少数民族たちに先んじてそのことに気づき、スペイン側にバスク共和国(多分自治的な)という小さな国を持った。
古代以来、国家などを持った事はない民族だったのだが、少なくとも文化的まとまりとして国を持ったのである。
この傾向は、21世紀の地球をあるいは予見できるような事象ではあるまいか。
以下は私の妄想である。
21世紀では普遍的文明は世界を覆うだろうということだ。無論このことは世界国家ができるといったふうの政治的なことではなく、普遍的な慣習の世界化とか、英語などの共通語の普及、またはファッションなど生活のソフト面の共通化といった文化的要素の共有性が高まるだろうということである。
ただし、以下が大事なのだが、一方において、その大傾向に背を向けるようにして、少数者が激しく自己主張し、多数者に背を向け、少数者が特異性を不必要にまで主張し、そのことによって多数者に顔色をうかがわせ、時にバクダンを投げつけて、自己の存在を示そうとする時代がくるに違いない。
しかもそのことが、集団(国またはその類似団体)の唯一にちかい目的になりそうである。
人類は普遍性に覆われつつ、その便利さを享受する一方、特殊性を声高く叫ぶことに精神の安寧を感じる時代が来そうだということである。
その時は、バスク共和国も既成権威(エスタブリッシュメント)に組み入れられて、新奇な少数者に追い上げられる側に回ってるかもしれない。現に少数派の過激グループETAの存在がある。」
☆☆☆
21世紀は、司馬遼太郎のこの見立ての流れのように進んでいる。同時多発テロはおろか、ソビエト連邦崩壊、ベルリンの壁崩壊よりさらに前の1885年に本書は書かれた。