読書逍遥第228回 『モンゴル紀行』(その5)街道をゆく5 司馬遼太郎著

『モンゴル紀行』(その5)街道をゆく5 司馬遼太郎著
ウランバートルからゴビ砂漠へ
遠い先祖は遊牧民だったのだろうか
私の苗字には田んぼがあるので、近い先祖は農耕民だったことは間違いない
境目のない地で羊の群れを放牧をしなからゲルの移動生活
☆☆☆☆
(馬乳酒のこと)
人類の歴史で最も古い遊牧民族は、前6世紀から前3世紀にかけて活躍したスキタイであるとされる。
スキタイは黒海のそばの草原地帯を遊牧地とし、その種族は、彼らが遺した金属彫刻によって印欧系であると想像されており、その生活文化については前5世紀のギリシャの歴史家ヘロドトスの『歴史』に紹介されている。
そこに包(パオ)が出現しており、馬乳酒もさかんに飲まれているのである。
パオと馬乳酒は、モンゴル人のみの固有の生活文化でなく、乾燥アジアにおいて数千年来遊牧してきた諸民族にとって共通のものであり、普遍性を持つという意味で、「文明」の重要な要素のひとつといっていい。
馬乳酒は、よほどのんびりした遊牧的時間感覚のなかでなければ、作られがたい。
材料の乳は馬に限らず、駱駝でも構わないが、馬の乳の方がうまいとされる。もっとも私は駱駝のほうも飲んでみたが、区別ができなかった。
(ウランバートルから飛行場への車からの風景)
本来のモンゴルの夏は、大方のモンゴル人の顔の色がチョコレート色であるように、烈しい太陽光線が、渇いた空気の中を太目の矢のように降りそそぐのだが、しかし早暁は真夏でも寒い。夜明け前後の寒気は、日本の真冬よりも寒い場合もある。
やがてマイクロバスの窓いっぱいが、郊外の丘陵風景になった。丘という丘を短い草がびっしりと覆って、上質のビロードをかぶっているようである。
緑の色調にときどき黒いぶちになっているのは、露頭している岩石だが、その岩石も動いたりする。動くのはむろん本物の岩石ではなく、遠目には岩石のように見える羊の群れなのである。
須田克太画伯が鉛筆をかざすように上げて、そのあたりの景色を宙で掻い撫でつつ、「阿蘇の草千里に似ています」とひとりごとを言った。
モンゴル人民共和国のひろさは、フランスとスペインとポルトガルを合わせ、それに英本国を加えたほどに広大である。
そこに住む人間の数は、わずかに新宿区ほどに過ぎない。一人当たりが占める空間が巨大なせいか、どのモンゴル人も風貌や言語動作が鷹揚で、年をとると、たいてい、百騎か二百騎の士卒をひきいているような武将顔になる。
