読書逍遥

読書逍遥第146回 『地球曼荼羅 世紀末を歩く』森本哲郎著

冨田鋼一郎

『地球曼荼羅 世紀末を歩く』森本哲郎著

1993年発行

本書が世に出てからもう30年になる。
ベルリンの壁崩壊、ソビエト解体と続いた。東西冷戦が終わり、これで世界は一つになり平和が訪れたと希望を抱いた。

ところが実際にはどうなったか。

改めて世紀末の有り様を思い返して、行く末に思いを馳せる。

☆☆☆
「逍遥」について

逍遥とはゆっくりと歩くこと。

中国の文人たちは、俗世を避けて田園に廬を結ぶと、逍遥のために庭に三本の径(こみち)をしつらえた。

⭕️三径荒(こう)に就くも松菊猶存す 
         陶淵明

これを念頭に、蕪村は、路に関する詩情豊かな句を作った。

⭕️三径の十歩に尽て蓼の花 蕪村

⭕️路絶て香にせまり咲く茨かな

⭕️我帰る路いく筋ぞ春の艸

⭕️これきりに小道つきたり芹の中

⭕️花茨故郷の路に似たるかな

⭕️極楽のちか道いくつ寒念仏

⭕️桃源の路次道の細さよ冬ごもり

蕪村もこよなく小径を愛した。

ハイデガー『野の道(フェルト・ヴェーク)』には、味わうべき言葉がある。

「野の道では、早春の歓喜と、晩秋の沈黙とが出会い、少年の戯れと老年の知恵が見つめ合う。そして全てがひとつに響き合い、そのこだまを運んでいく。」

「こだまを運ぶ野の道」。美しい句だ。

☆☆☆

道は交通の手段だけにあるのではない。いつの世も、道は思索を誘う。

こんもりした榎の木が道端にあれば、どんなに散歩が愉しくなることか。

家の近くには、二本榎の木があるのを知っている。ひとつは神田川沿い、もうひとつは肥後細川庭園の池のほとり。

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ABOUT ME
冨田鋼一郎
冨田鋼一郎
文芸・文化・教育研究家
日本の金融機関勤務後、10年間「学ぶこと、働くこと、生きること」についての講義で大学の教壇に立つ。

各地で「社会と自分」に関するテーマやライフワークの「夏目漱石」「俳諧」「渡辺崋山」などの講演活動を行う。

著書
『偉大なる美しい誤解 漱石に学ぶ生き方のヒント』(郁朋社2018)
『蕪村と崋山 小春に遊ぶ蝶たち』(郁朋社2019)
『四明から蕪村へ』(郁朋社2021)
『論考】蕪村・月居 師弟合作「紫陽花図」について』(Kindle)
『花影東に〜蕪村絵画「渡月橋図」の謎に迫る』(Kindle)
『真の大丈夫 私にとっての漱石さん』(Kindle)
『渡辺崋山 淡彩紀行『目黒詣』』(Kindle)
『夢ハ何々(なぞなぞ)』(Kindle)
『新説 「蕪」とはなにか』(Kindle)
『漱石さんの見る21世紀』(Kindle)
『徹底鑑賞『吾輩は猫である』』(Kindle)
『漱石さんにみる良い師、良い友とは』(Kindle)
『漱石さん詞華集(アンソロジー)』(Kindle)
『曳馬野(ひくまの)の萩』(Kindle)
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