読書逍遥第256回『図書館には人がいないほうがいい』(その2) 内田樹著
冨田鋼一郎
有秋小春
クレイグ先生は、漱石がロンドン留学中に親しく教えを受けたシェイクスピア研究家。
「クレイグ先生は燕のように四階の上に巣をくっている。」
「先生の得意なのは詩であった。詩を読むときは顔から肩の辺りが陽炎のように振動する。」
クレイグ先生にとって〈青表紙の手帳〉は大切な宝物。
「青表紙の手帳を約十冊ばかり並べて、先生はまがな隙がな、紙片(かみきれ)に書いた文句をこの青表紙の中へ書き込んでは、吝坊(けちんぼ)が穴の開いた銭を畜めるように、ぼつりぽつりと殖やして行くのを一生の楽しみにしている。この青表紙が沙翁字典の原稿であると云うことはすぐに知った。、、、先生の頭のなかにはこの字典が終日、槃桓磅礴(ばんかんほうはく)しているのみである。」
「じゃいつ出来上がるんですかと尋ねてみた。いつだか分かるものか、死ぬまでやるだけの事さ」と先生は言った。
→シェイクスピア研究に打ち込む。完成しようがしまいが頓着しない。イギリスには、クレイグ先生のような玄人はだしのアマチュアが大勢いるそうだ。ひとつの充実した余生の送り方だと思う。
漱石さんにとって、クレイグ先生のような生き様は、印象深く残ったはずだ。残念ながら漱石には余生そのものを得られなかった。
翻って、自分はどうなのか?
手当たり次第食い散らかしている自分は、いったい何をしているのだろう。
我を忘れるほど没頭しているものはあるのか?未だに見つからない。
思案にくれている。