第58回『「専門家」とは誰か』(村上陽一郎編2022)
『「専門家」とは誰か』(村上陽一郎編2022)
タイムリーな本が出た。現代は「専門家」は不可欠な存在なのに受難な時代でもある。
今日の「専門家」の受難は、グローバル化が極端に進み、原因と結果の因果関係が非常に複雑になっていることも関係しているだろう。
一方で、ますます複雑化する社会において「専門家」に期待することは大きい。「専門家」のあり方について興味深い論考が並んでいる。
特に興味深い論考は、
○「隣の領域に口出しするということ」
藤垣裕子
○「リスク時代における行政と専門家」
神里達博
ひと頃「学際的」という言葉が流行ったことがあったが、今日の社会が「専門家」に求めることははるかに切実だ。
日本は原子力、地震、津波など個別分野での研究は世界トップクラスなのに、何故それらが連携して福島原発事故を防ぐことができなかったのか。
くしくも最近、福島第一原発事故当時の原子力安全委員会委員長の班目春樹氏(74)が亡くなったとの報道を目にした。
藤垣裕子氏は、(原発事故の強い反省に立って)、「隣の領域に口出し」できる人材育成を念頭にカリキュラムに「専門家のためのリベラルアーツ」という後期教養科目を設置したという。難しい課題に取り組んでいることを知った。
「ジャーナル共同体」という言葉を知った。
「専門家になるということ」は、この仲間入りすることだ。「専門家」とは、「自分の分野の訓練されていない論文が奇妙にみえること」と同義だそうだ。
ある知り合いの先生(人文)が、「自分の領域外に口出すことは時に命取りになる」と言ったのを聞いたことがある。驚いた。
閉じられた仲間だけの空間にいると同じ言葉が通じるから居心地よい。一方で言葉が通じない外部に対しては耳を塞ぎ、口を閉じて、溝が生じ、ひいては壁となってしまう。
異なる価値をもつ他者と出会うことによって自己を相対化する訓練を積んでいないと、いつの間にか独りよがりになってしまうだろう。