読書逍遥第290回『中国・蜀と雲南のみち』(その1) 司馬遼太郎著
冨田鋼一郎
有秋小春
小さな池が見えますか?
[末文]
私のアトリエの裏には、小さな池があります。そこでは、移り行く季節や天候、植物や生き物たちが、いつも身近に感じられます。私はよく、この池の水面を眺めて時間を過ごします。じっと見ていると、そこには宇宙までが映っているようです。
☆☆☆
この文を見て、漱石『三四郎』のなかの池を覗き込む場面を読み返し、書き留めた。
「三四郎がじっとして池の面を見詰めていると、大きな木が、幾本となく水の底に映って、そのまた底に青い空が見える。三四郎はこの時電車よりも、東京よりも、日本よりも、遠くかつ遥かな心持がした。しかし、しばらくすると、その心持のうちに薄雲のような淋しさが一面に広がって来た。そうして、野々宮君の穴倉に入って、たった一人で座ってかと思われるほどな寂寞を覚えた。熊本の高等学校にいる時分もこれより静な竜田山に上ったり、月見草ばかり生えている運動場に寝たりして、全く世の中を忘れた気になった事は幾度となくある。けれどもこの孤独の感じは今始めて起った。」
☆☆☆
「薄雲のような淋しさ」。
やはり漱石の表現力に軍配!