読書逍遥第229回 『モンゴル紀行』(その6) 街道をゆく5 司馬遼太郎著
『モンゴル紀行』(その6) 街道をゆく5 司馬遼太郎著
南ゴビ砂漠に向かう
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ソ連製の50人乗りのAN 24型機は、順調に南を指して飛行を続けている。
窓から下を覗いていて、やがて重大な景観の変化があったのは、一度きりだった。モンゴル語で言う緑草地帯(ハンガイ)が終わり、赤い鉄サビ色の大地が出現した時である。
(これがゴミ砂漠か)
何度も自問した。
モンゴル人ほど、その生まれ故郷を濃密な感受性で恋う民族も珍しいのではないか。
案内人のツェベックマさんは、大興安嶺の壁に近い草原で生まれた。今は中国領になっているために帰ることはできない。帰れないだけに、彼女の望郷の念は、堪らぬほどのものがあるであろう。
「モンゴルの詩人の詩いいですよ。本当に素晴らしい。私たちの心のうるおいです」
日本の場合、『万葉』や『新古今』のころのように、詩が日常の中にあった時代でさえ、故郷を主題にする作品がそれほど多くはない。
このことは二つの民族の自然環境を考え合わせて突き詰めてゆくと、なにか人間の本姓に関わる問題が導き出されてきそうに思えるが、今のところ私の中の思案は漠然としている。
(南ゴビの飛行場に着陸して)
タラップの最後より2段目から、飛び降りた。靴の裏がゴビ草原にくっついたとき、おどろくべきことは、大地が淡い香水をふりまいたように薫っていることだった。
風はなく、天が高く、天の一角にようやく茜がさし始めた雲が浮かんでいる。その雲まで薫っているのではないかと思えるほどに、匂いが満ちていた。
「これは何の匂いですか?」
とツェベックマさんを振り返った。彼女は慣れているせいか、私の質問をちょっと解しかねる表情をしたが、やがて、
「ゴビの匂いよ」
と、誇りに満ちた小さな声で言った。
人さし指ほどの丈のニラ系統の草が、足もとでごく地味な淡紫色の花をつけている。それがそのあたりの一面の地を覆い、その茎と葉と花が、はるか地平線のかなたにまで広がっているのである。
その花の匂いだった。空気が乾燥しているため花のにおいもつよいにちがいなく、要するに、一望何億という花が薫っているのである。