読書逍遥第144回 『無用の効用』ヌッチョ・オルディネ著
『無用の効用』ヌッチョ・オルディネ著
「最も役に立つものは役に立たないものである」(ハイデッガー)
「原始時代の人は、その恋人に初めて花輪を捧げると、それによって獣性を脱した。人はこうして、粗野な自然の必要を超越して人間らしくなった。役に立たないものの微妙な用途認めたとき、人間は芸術の国に足を踏み入れたのである」(岡倉天心)
「私にとっては有益だが、家族にとっては害がある知識を得たら、私はそれを頭から追い出すだろう。家族にとっては有益だが、祖国にとっては害がある知識を得たら、私はそれを忘れるよう努めるだろう。祖国にとっては有益だが、ヨーロッパにとっては害がある知識、あるいはヨーロッパにとっては有益だが、人類にとっては害がある知識を得たら、私はそれを犯罪とみなすだろう」(モンテスキュー)
「役立たずが役に立つ」、無償の知こそ社会を発展させ、文化を育てる
今や利潤の論理が世界を覆い尽くし、教育・研究のための機関を根っこから脅かしている。
人間が金銭と同一視される社会への警鐘、何の役にも立たない無私の冒険賛歌、人文学賛歌の本。
特に、第二章「企業としての大学と、顧客としての学生」は、教育関係者には思い当たり、共感することが多いのではないか。
無益さにこそ価値がある!
役に立たない文学や芸術を愛せる人間になるために!
グローバル経済、利益中心、効率優先……大切なものはどこへ行った?
いにしえの文人・思想家の言葉をたどり、生きる意志を再発見する。
(表紙見開き)
―過去の記憶、人文科学、古典語、教育、自由な研究、想像力、芸術、批判的思考など、人間のあらゆる活動を後押ししてきた文明の息吹が、徐々に根絶やしにされようとしている。
―食事や呼吸を必要とするのと同じように、わたしたちは「無駄(役に立たないこと)」を必要としている。
―真に美しいものは、なんの役にも立たないものだけである。役に立つものはすべて醜い。
……わたしは余計なものを必要とする人間だ。
第1部 文学は〈役立たず〉だが〈役に立つ〉
第2部 企業としての大学と、顧客としての学生
第3部 所有することは殺すこと――人間の尊厳、愛、真理
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何の役に(金銭的に測れるものに)立つのかだけを基準にする風潮に警鐘を鳴らす。
バイオテクノロジー、ナノテクノロジー、ロボット工学、生成AIの進歩によって多くの人間は「無用者」になるだろうと恐れられている。
それは脅威なのか。本書の論でいうと、社会で無用者になることは、何も恐れることではない。
無用な人間であればこそ、生をしっかりと謳歌できるようになるのではないか。漱石の「高等遊民」の優雅な姿も重なる。