読書逍遥第123回 初版『子規全集』全15巻 アルス版
冨田鋼一郎
有秋小春
『イギリス 女王の国の伝統と流行』
まだ先日の彼の地の国葬の余韻に浸っている。
明治以来、日本はイギリスに多くを学んだ。「此国(イギリス)の文学美術がいかに盛大で、其盛大な文学美術が如何に国民の品性に感化を及ぼしつつあるか」を漱石は痛感し、それにくらべて日本の社会の有様が何とも情けなく思われ、暗澹たる思いに沈んでいる。
それから一世紀近く。日本は大いに変わり、イギリスもまた変わった。だが、私たちの手本だったイギリスを本当に理解しているだろうか。英語を勉強しても、イギリスの歴史、文化、そして品性を正確に認識しているだろうか。(森本哲郎)
イギリスの大学は、学問と社交とによって人間をつくるところだ。職業人をつくるのでもなければ、学究をつくるのでもない。英国紳士をつくるところなのだ。
そのうちでもオックスフォードとケンブリッジは特別である。アメリカから来た見物人が、こんな芝生をこしらえるのはどうしたらよいんだね、と訊ねた。訊ねられた人が生憎とそこの学長であったというのだが、ええ、毎日水をやりましてね、毎日芝刈機をかけます、それを八百年続けますのさ、と答えたというのは有名な話だ。(福原麟太郎)
歴史の浅いアメリカ人には八百年は想像すらできない伝統の重さだ。
オックスフォード大卒業者で思いつくのは、科学・経済啓蒙家、マット・リドレー(1958- )。彼のような幅広く奥行きのある知性を磨いた人物は我が国にはにわかに思い浮かばない。