読書逍遥

第90回『行く、行った、行ってしまった』(その2)ジェニー・エルペンベック著

冨田鋼一郎

『行く、行った、行ってしまった』(その2)ジェニー・エルペンベック著

かつて壁があった街(ベルリン)で難民殺到。改めて問う国境とは何なのか。
表題が実に象徴的!老教授リヒャルト(主人公)の揺れる気持ちをうまく表現している。

「新聞朝刊でイタリアの、ランペドゥーザ島沿岸でボートが転覆し、乗っていた329人の難民のうち64人が溺死したという記事を読む。ガーナ、シエラレオネ、ニジェール出身の人々。アフリカには54の国があるという。54?それは知らなかった。それらの首都はどこだろう。世界地図をもってくる。ガーナの首都はアクラ、シエラレオネはフリータウン、ニジェールはニアメ。」

→冒頭の朝の場面。アフリカ大陸の地図を見ることは自分がやったことと全く同じことだ。

「どこから来たの?砂漠から。アルジェリア?スーダン?ニジェール?エジプト?その時初めて、思い当たる。ヨーロッパ人によって引かれた国境線など、アフリカ人には実際なんの関係もないのだと。
つい最近、地図でアフリカ各国の首都を調べながら、地図上に引かれた直線を改めて目にしたばかりだが、いまようやくそれらの直線がいかに恣意的なものであるかを実感する。砂漠からだね。わかった。」

「アフリカの人たちはきっと、ヒトラーが誰かは知らないだろうが、そうだとしても、彼らがいまドイツで生き延びることができて初めて、ヒトラーは本当に負けたことになる。」

「あのころ自分がどうやって過ごしてたか、もう覚えていない。ねえリヒャルト、俺はいまリヒャルトのことを見てると思うだろう、でも、自分の心(マインド)がどこにあるかわからない。自分の心がどこにあるかわからない。

なんと美しい、だが、不幸にも、ドイツ語の豊かさをもってしても翻訳不可能な言い回しだろう、とリヒャルトは思う。ドイツ語で言うと、自分の思いはどこか別のところにある?それとも自分の精神、自分の魂がどこにあるかわからない?それとも単に、ここにいるのは自分ではない?」

ベルベル人がたどったかもしれない道。コーカサスからアナトリア、レヴァント地方を経て、エジプト、さらに古代リビュアまで、さらに現在のニジェールへ、

「未知の世界が丸ごと頭上に落ちてきたら、いったいどこから整理を始めたらいいのだろう?」
→未知との遭遇に狼狽しながらも次第に心を寄せて行く老教授の心の軌跡を辿る。

「境界とは敵を作り出すものだということを、他でもないここベルリンで。皆はもう忘れてしまったのだろうか?」

ゲーエン、ギング、ゲガンエン
(行く→行った→行ってしまった)

ゼーエン、ザー、ゲゼーエン
(見る→見た→見てしまった)

世の中には、身近にあっても見ているようで見えていないこと、見ないふりをしていることは多い。

日本社会も、いずれこのような国境をめぐる気付きと葛藤に遭遇するのだろう。

[ルピナス]
[クチナシ]

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ABOUT ME
冨田鋼一郎
冨田鋼一郎
文芸・文化・教育研究家
日本の金融機関勤務後、10年間「学ぶこと、働くこと、生きること」についての講義で大学の教壇に立つ。

各地で「社会と自分」に関するテーマやライフワークの「夏目漱石」「俳諧」「渡辺崋山」などの講演活動を行う。

著書
『偉大なる美しい誤解 漱石に学ぶ生き方のヒント』(郁朋社2018)
『蕪村と崋山 小春に遊ぶ蝶たち』(郁朋社2019)
『四明から蕪村へ』(郁朋社2021)
『論考】蕪村・月居 師弟合作「紫陽花図」について』(Kindle)
『花影東に〜蕪村絵画「渡月橋図」の謎に迫る』(Kindle)
『真の大丈夫 私にとっての漱石さん』(Kindle)
『渡辺崋山 淡彩紀行『目黒詣』』(Kindle)
『夢ハ何々(なぞなぞ)』(Kindle)
『新説 「蕪」とはなにか』(Kindle)
『漱石さんの見る21世紀』(Kindle)
『徹底鑑賞『吾輩は猫である』』(Kindle)
『漱石さんにみる良い師、良い友とは』(Kindle)
『漱石さん詞華集(アンソロジー)』(Kindle)
『曳馬野(ひくまの)の萩』(Kindle)
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