読書逍遥第242回 『フェルメールと天才科学者』(その3)
冨田鋼一郎
有秋小春
老いに関する最も包括的な教科書。大事な知恵(ヒント)が満載だ。
高齢期は、若い頃よりはるかにcarpe diem(カルぺ・ディエム今日の花を摘なさい)の時期にある。
[ヘーゲルの老い]
老年とは、不断の進歩の最終段階、人間存在の完成の頂点である。
[モンテェーニュの老い]
我々の進み方は確実な進歩ではなく、不安定な歩行である。
[サント・ブーヴの老い]
老年とは、人生の総和ではない。ある部分は硬化し、他の部分は腐る。決して成熟しない。同一の運動の満ち干きが我々に世界を与え、それを奪う。ものを覚え、そして忘れる。豊穣になり、破損する。
[エリオの老い]
教養とは、人が全て忘れてしまったときに残るもののこと。残るものとは、
1.一度学んだことを学び直す能力。
2.仕事を進める方式。
3.過誤への抵抗力。
4.危険防止への知恵。
5.哲学、イデオロギー、政治など若い者には不可能な総合的視野。
反復的な社会では老いは尊重される。しかし、今日のような激動社会ではないがしろにされる。そして若いものさえいずれは時代遅れになる。
「かつての人々は、年月の経過につれて経験という財宝が老人のなかに蓄積されると考えていた。石灰分を含む泉のなかに浸した木の枝に結晶が固着するように、書物によっては学ぶことのできないある種の処世術、ある種の人生智が少しずつ人間の肉体と精神のなかに溜まるのだ。」
「知識の領域では、必然的に遅れをとる。私自身20歳以来多くのことを学んだが、相対的に年毎に無知になる。諸科学は日進月歩し、遅れまいと努力にもかかわらず、知らないことは増える一方だ。」