日々思うこと

折々のことば2024.06.22

冨田鋼一郎

よい先生とは何か?

この大澤真幸氏の先生の定義のようなことばは含蓄がある

「先生の存在が、<問い>だからである」 大澤真幸

何かを知ろうとすれば問いを立てなくてはならない。そしてよく問うには先生が必要だと、社会学者は言う。

正解を先に手にしている人ではなく、より深い未知に身を開いてゆける人として。

人生の意味は何かある目的の達成にあるのではなく、日々の歩みの在りように懸かっている。

実際教わった知識はまたたく間に忘れても、先生の背中は忘れない。『私の先生』より

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『先生はえらい』で内田樹氏が、噛んでふくむめるように繰り返し述べていたことに通じる

なぜ勉強しなければならないのか?

バツかマルか、白か黒かに囚われている人がいる

白黒のはっきりしていることは、世の中のごく一部でしかない

先生はいったい何をどこまで知っているのか、先生は知っているのに自分は知らないと思い込む(誤解する)ことで、生徒は何かを学んでしまう

まなびの成立と、先生との出会いは同時に起こる

これが自ら問うということ、学びの主体性ということの本質だ

学びには、先生の存在が必要だ
生涯の恩師は誰にでもいる

未知のことに対してどこまでも知ろうとする、学びの姿勢は先生の存在が起動させ、終生持続する

私にとっては、そのような「先生」を一人あげろといわれたら、あのひとしかいない(という勝手な思い込み) 

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ABOUT ME
冨田鋼一郎
冨田鋼一郎
文芸・文化・教育研究家
日本の金融機関勤務後、10年間「学ぶこと、働くこと、生きること」についての講義で大学の教壇に立つ。

各地で「社会と自分」に関するテーマやライフワークの「夏目漱石」「俳諧」「渡辺崋山」などの講演活動を行う。

著書
『偉大なる美しい誤解 漱石に学ぶ生き方のヒント』(郁朋社2018)
『蕪村と崋山 小春に遊ぶ蝶たち』(郁朋社2019)
『四明から蕪村へ』(郁朋社2021)
『論考】蕪村・月居 師弟合作「紫陽花図」について』(Kindle)
『花影東に〜蕪村絵画「渡月橋図」の謎に迫る』(Kindle)
『真の大丈夫 私にとっての漱石さん』(Kindle)
『渡辺崋山 淡彩紀行『目黒詣』』(Kindle)
『夢ハ何々(なぞなぞ)』(Kindle)
『新説 「蕪」とはなにか』(Kindle)
『漱石さんの見る21世紀』(Kindle)
『徹底鑑賞『吾輩は猫である』』(Kindle)
『漱石さんにみる良い師、良い友とは』(Kindle)
『漱石さん詞華集(アンソロジー)』(Kindle)
『曳馬野(ひくまの)の萩』(Kindle)
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