読書逍遥第105回 『漱石追想』岩波文庫
冨田鋼一郎
有秋小春
イルクーツクにおいて大黒屋光太夫が登場する
江戸中期の数奇な異文化体験者のひとりだ
大黒屋光太夫(1751-1828)
江戸後期の伊勢国奄芸郡白子の港を拠点とした回船の船頭。天明2年(1782年)、嵐のため江戸へ向かう回船が漂流し、アリューシャン列島のアムチトカ島に漂着。イルクーツクを経て、ロシア帝国の帝都サンクトペテルブルクで女帝エカチェリーナ2世に面会して帰国を願い出、漂流から約9年半後の寛政4年(1792年)に根室港入りして帰国した。
大黒屋光太夫のロシア体験(1782から約9年半)と、似たようなアメリカ体験をしたジョン万次郎の体験(1841から約10年)と比較すると面白い。
・どちらも漂流で国外に出たのであって、国外脱出は自分の意志ではなかった。
・光太夫(1782)の方が万次郎(1841)より半世紀ほど早く、万次郎が幕末の動乱期にあたったのとは違う
・異文化体験としては、万次郎のアメリカ体験の方がはるかに濃密だった。ロシアとアメリカの国民性の違いや、万次郎14歳から24歳という多感な時期なのに対し、光太夫31歳から41歳だったこともあるだろう
幕府老中の松平定信は光太夫を利用してロシアとの交渉を目論んだが失脚する。その後は江戸で屋敷を与えられ、数少ない異国見聞者として桂川甫周や大槻玄沢ら蘭学者と交流し、蘭学発展に寄与した。
甫周による聞き取り『北槎聞略』(ほくさぶんりゃく)が資料として残された