読書逍遥第225回 『モンゴル紀行』(その2) 街道をゆく5 司馬遼太郎著



『モンゴル紀行』(その2) 街道をゆく5 司馬遼太郎著
冒頭の記述からして、読者を引き付ける
その後、ハバロフスクではアムール川を見にゆく
司馬遼太郎にとってはアムール川はセンチメンタルジャーニーか
@@@@
少年の頃、夢想の霧の中で、くるまっているほど楽しいことはない。私の場合、口もとに薄ひげが生えてくるころになっても、この癖は癒らなかった。
そのころの夢想の対象は、東洋史にあらわれてくる変な民族についてだった。漢民族は、自分の文化のみが優越しているという意識を中心にして、他民族を考えた。
(そこから「夷狄」の話題に移る)
今も「狄」の後裔の国はある。
ゴビ砂漠を含めて、標高1200メートルの高原をなす北方アジアの一角にあり、モンゴル人民共和国というのがそれである。
かつては、外蒙と言われた。中国語である”外”というのは漢民族の側からみてのそれで、本来、モンゴル人の故地は、中国側でいう内蒙の低い草原地帯よりも、オノン、ケルレンの流れる外蒙高原にある。
[ハバロフスクにて]
(ハバロフスクは大河アムール川(黒竜江)とウスリー川の合流地点。遠く上流モンゴルから運んできた栄養豊富な淡水を河口からオホーツク海へとはき出す)
ハバロフスクに着いたとき、陽はまだ十分高かった。
空はステンドグラスの青のように冷たく晴れている。この空の青さをアムール川が映している景色を見たいと思い、ホテルを出た。町を横切り、公園の丘陵を下っていくと、散歩にちょうどいい程度の歩行距離で岸辺に達することができた。
なるほど、川幅は大きい。対岸は遠い。さらに遠くに地球のしわのようにかすんでいる山々がある。そのあたりは中国領東北地方の黒竜江省であろう。
かつて日本が傀儡国家としていた「満州国」の行政区分でいえば、牡丹江省であった。その対岸に自分が兵隊としてかつていたことを思うと、夢のような気がする。
当時、私どもの連隊から交代で国境の監視役が出ていた。私は一度も出なかったが、もし出ていていれば、この黒竜江(アムール川)の流れを向こうの山から倍率の大きな眼鏡で眺めていたことになる。
黒竜江は、意外に青くはない。空の青さを無視したように、やや黒ずんだ鉛色の流れである。この川はほとんど地球的な規模の長さを持ち、はるか北西のモンゴル地帯の水をあわせている。
漢文では黒水と呼ばれるが、モンゴル語でも黒い川(ハラムレン)という。アムールがどの民族の言葉かはわからないそうだが、おそらくこの川のふちに棲んでいたツングース系の河川漁労民族ーーサケやマスをとっていた人たちーーの言葉であったのを、やがてロシア人が用いるようになったに違いない。