読書逍遥第294回『中国・蜀と雲南のみち』(その5) 司馬遼太郎著
冨田鋼一郎
有秋小春
大規模な美術展覧会では、人気タレントが録音した解説を耳にしながら会場を巡るのが流行りだが、専門家の要領よい解説を聞いただけで作品を見た気になるのは味気ない。
著者は専門家ではない。世界(ヨーロッパ中心)を訪れ、足繁く美術館を訪れた。
本書で繰り広げられるのは、観念的でなく、堅苦しさのない自由で思い切った発言の数々。
美術鑑賞とは、見る者が作品と一対一で対峙して初めて得るものだ。何を得るのかは、自分に問いかけるしかない。
⭕️アルハンブラ宮殿
南スペイングラナダの高台。乾燥した空気とイスラムの八百年の歴史のなかに佇む。甘美な「アルハンブラの想い出」のメロディが蘇る
⭕️ヴェラスケスの仕事場に私の派遣したスパイ 「ラスメニナス(宮廷官女像)」
画家が描いている画布の裏側しか見えない。何を描いているのか、描き始めか、完成間近か?画のモデルはこちら側にいる
画家は、絵の中からモデルと鑑賞する我々を見ている。その絵を我々が見る。我々は見ているのではなく、むしろ画家に見られているのだ
⭕️楽園追放―アダムとイヴ
「創世記」「園の中に生命(いのち)の樹および善悪を知(しる)の樹を生ぜしめ給り」
「元始(はじめ)に神天地を創造(つくり)たまへり。夕あり朝ありき是首(はじめ)の日なり」
⭕️モナリザには眉がない
この絵は、宇宙(世界)の不気味さと優しさの二つを描いたが、ここに不在なものは神である