読書逍遥

読書逍遥第152回 『思想の冒険家たち』森本哲郎著 1982

冨田鋼一郎

『思想の冒険家たち』森本哲郎著 1982

「読書の報酬」について

読書はいくらしたって果てしがない。ではなぜ読書するのか。このことは、若いときからずっと気になっていた。

「読書の報酬」という文を読んだ当時、よく理解できなかった。だから色鉛筆で線が引いてある。

これを読み返してみた。読書とは、点から線へ、線から面へとタペストリーを織り上げていくようなものかもしれない。

以下、「読書の報酬」から抜粋。

☆☆☆

もし万巻の書を読破したならば、その時の気分というものはどんなものだろう。よほど強靭な精神の持ち主でない限り、何が何だかわけがわからなくなってしまうに違いない。

幸い人間の頭脳には限度があり、記憶の容量も決まっていそうだから、その容量を超えたぶんは次々に忘れてしまうことだろう。

とすれば、読書とは誠に不条理なものと言わねばならない。人は忘れるために読むと言うことになりかねないからだ。

とは言え、読んだものを、全て完全に忘れ去ってしまうわけではない。

本を読みながら深く刻まれた印象は、ほんのわずかなりとも無意識の層に沈殿し、それが思いがけないときに、ひょいと意識の表面に飛び出してくる。それが読書の報酬ではなかろうか。

その報酬が無いならば、読書とは全くの暇つぶしに終わってしまうだろう。つまり、そうした意識の思いがけないきらめきで精神を飾ること、それが読書の意味なのである。

そして、そのきらめきをどのように自分の世界にまとめ上げるか、それでその人の読書の価値が決まるといっても良い。

(森本哲郎『思想の冒険家たち』より)

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ABOUT ME
冨田鋼一郎
冨田鋼一郎
文芸・文化・教育研究家
日本の金融機関勤務後、10年間「学ぶこと、働くこと、生きること」についての講義で大学の教壇に立つ。

各地で「社会と自分」に関するテーマやライフワークの「夏目漱石」「俳諧」「渡辺崋山」などの講演活動を行う。

著書
『偉大なる美しい誤解 漱石に学ぶ生き方のヒント』(郁朋社2018)
『蕪村と崋山 小春に遊ぶ蝶たち』(郁朋社2019)
『四明から蕪村へ』(郁朋社2021)
『論考】蕪村・月居 師弟合作「紫陽花図」について』(Kindle)
『花影東に〜蕪村絵画「渡月橋図」の謎に迫る』(Kindle)
『真の大丈夫 私にとっての漱石さん』(Kindle)
『渡辺崋山 淡彩紀行『目黒詣』』(Kindle)
『夢ハ何々(なぞなぞ)』(Kindle)
『新説 「蕪」とはなにか』(Kindle)
『漱石さんの見る21世紀』(Kindle)
『徹底鑑賞『吾輩は猫である』』(Kindle)
『漱石さんにみる良い師、良い友とは』(Kindle)
『漱石さん詞華集(アンソロジー)』(Kindle)
『曳馬野(ひくまの)の萩』(Kindle)
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