読書逍遥第261回『叡山の諸道』司馬遼太郎著
冨田鋼一郎
有秋小春
副題 ’AI社会への憲法的警句’
面白い視点を聞くことができた。
現在の「生成AIを含む急激な情報化革命」は、200年ぶりの《産業》革命ではない。
むしろ、500年ぶりの《精神》革命と捉えるべきであるという。
《精神》の革命の方がよほどインパクトが大きい。
500年前のルネサンスと宗教改革は、主権者を「神から人間へ」という大転換をもたらした。
それまでは神と教会(その解釈者である)が主導権を持った「我々が決められない世界」だった。
それからは個人の尊敬と自由を最大限に認める「我々が決める世界」へ転換した。
今回の「生成AIを含む急激な情報化革命」はどうか。革命の内容とは、
①プライバシーの概念を過去のものとする
②頭のなかの認知過程を透明なものする
③我々の心をハッキングする
図式化すると、
(原始社会)
人は神と教会に従属した「我々が決められない世界」
↓
(15、16世紀ルネサンス・宗教改革によって)
個人の尊重を基礎に「我々が決められる世界」へ転換
↓
(生成AI情報化革命)
意思決定の主体は、個人からAI(アルゴリズム)とその解釈者のプラットフォーマーに譲り渡される。
「超個人主義」なる言葉をみると、漱石の講演「私の個人主義」を思い出す。
個人主義に試練を及ぼす情報化革命。著者は憲法学者として、この革命が現行憲法の理念に対してどのような影響を与えうるのかを検討している。