第83回『「未来」とは何か』デイビッド・クリスチャン
冨田鋼一郎
有秋小春
辺りから騒音がしない静かな休日です。
この本から蕪村と漱石への視点をたくさん教えてもらった。
「俳句鑑賞は創造」という心に刻んだ文章を一つ紹介する。
「あらためていうまでもなく、俳諧は十七文字の詩である。もし、たった十七文字のなかに詠まれる詩句が実景や実感を盛り込んだだけのものだとしたら、さして意味のない事実の描写に終わってしまうことだろう。だが、そこに使われる言葉に、さまざまな象徴を読み取ることによって、この短詩は魂の深みへと達することができるのだ。
むろん、その寓意が鑑賞者に届かないこともあろう。反対に、作者が意図していない意味を鑑賞者が読み込む場合もある。その境が曖々としているところにこそ俳諧の妙味があるといえる。
言葉をかえていうなら、俳諧の真髄とは、解釈の自由を最大限に許す点に存するのであり、作者にとってはその片言隻句に寓意をいくらでも秘めることができる、ということにあるのだ。
この意味で俳諧の鑑賞は、同時に創造でもある。」
それでは、あなたは次の句をどのように鑑賞しますか。
凧(いかのぼり)きのふの空の有りどころ 蕪村
昨日は、たしかにあそこら辺の空に挙がっていた凧。
では今日は、挙がっているのでしょうか、それとも挙がっていないのでしょうか。
私はこの句はずっと今日は凧が挙がっていないと解釈していたが、全集の解説を読んでびっくり。真逆の誤解をも許す鑑賞の面白さを知った。
シャクヤク