読書逍遥第215回 『オランダ紀行』(その4)街道をゆく35 司馬遼太郎著
『オランダ紀行』(その4)街道をゆく35 司馬遼太郎著
[オランダ人の国民性について]
民族のアイデンティティーを考える上で、言語と言う視点は外すことができない
その意味では、オランダ人にしては、言語以外に誇るべきものがあるようで、あまりオランダ語でしゃべることにこだわってはいない。その点で、オランダはおおらかで、大人の国である
そこでまた例によって、脇道にそれる
ヨーロッパ史の視点で、ケルト民族とバスク民族を並べてみる
この視点は貴重なものなので、抜粋する
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ヨーロッパにはケルト文化と言う古層が生きている。
例えば、連合王国(イギリス)の中のウェールズ地方や、となりの島のアイルランド共和国や、北アイルランドの一部では、ケルト語は使われている。
古ケルトの文化圏では、英語に呑み込まれるな、固有の言語を守れ、と言う運動が盛んで、そのような民族感情が政治的激情に結びつくとき、しばしば暴力の形を取る。
北アイルランドで頻発するテロ事件がそれである。
同じような問題が、フランスとスペインの国境に横たわるピレネー山脈の谷々にもある。
バスク民族の問題である。山脈の谷々に住むバスクという古い少数民族が、近代になってから両大国(フランスとスペイン)の国民にそれぞれ属させられた。
バスク人たちは、フランス革命を今なお憎悪する。
あの革命によって国民国家ができ、そのために少数者が否定された。山脈の東麓のバスク人はフランス国民、西麓はスペイン国民にさせられてしまい、バスク人は引き裂かれた。われわれは古代以来、独立した文化圏を作ってきたのだ、とバスク人は中道派でさえそう言う。
バスク語はほとんど死後になりかけていたのに、かれらはその晦渋な言葉をあらためて習得し、次いで独立を志向した。そのうちの過激派は主としてスペインにおいてしばしばテロ的な暴発を行っている。
ケルト民族もバスク民族も、ほとんど固有の文化を失っており、例えば、料理さえ固有のものはなく、あるのは言語だけである。
双方、せいぜい数百万人の間でしか通用しない非普遍語に固執することによって、民族の固有感性を取り戻そうとしている。
このようなことは、ソ連領(注:執筆当時はまだソビエト崩壊前)の各地でもぞくぞくとしておこっていて、20世紀末の重要課題であると言っていい。
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今、世界各地で少数民族の固有な権利回復の動きが起きている。
ヨーロッパのみならず、東南アジア、中南米、太平洋諸島、オセアニア、アフリカ各地のニュースは毎日耳にする。
ところが、ロシアや中国国内で何が起きているのか、杳として動向がわからない。