読書逍遥

読書逍遥第102回 『古句を観る』柴田宵曲著

冨田鋼一郎

『古句を観る』柴田宵曲著

俳句とはこのように味わうのか。俳句鑑賞の仕方を教えてくれた本。

俳諧といえば芭蕉、蕪村、一茶の名前ばかりを追いかける風潮に反して、江戸俳書を丁寧に読み込んで、無名作者の句だけを選んで鑑賞に及ぶ。

こんな作業は本当に俳諧好きでなければできない。巷の俳諧研究者ではとても敵わない。

本書は戦時中に出版された。驚くべきことに、時局を窺わせる言葉がでてこない。著者は古俳句とともに日々生きていたのだ。達意の文章の例でもある。

例えば、
⭕️ 杉菜喰う馬ひつたつる別かな 関節

「餞別」という前書がついている。如何なる人が如何なる人を送る場合か、それはわからない。わかっているのは送られる方の人が、これから馬に乗って行くらしいということだけである。

名残を惜しんで暫く語り合ったが、どうしても出発しなければならなくなって、馬を引立てて行こうとする。今まで人間の世界と没交渉に、そこらに生えている杉菜を食っていた馬が、急に引立てられることによって、二人の袂を分かつわけになる。

「杉菜喰う」で多少その辺の景色も現れているし、「ひつたつる」という荒い言葉の裏に、送る者の別を惜しむ情が籠っているように思われる。餞別の句としては巧みなところを捉えたものである。

☆☆☆☆

畏友の森銑三の解説が、宵曲の魅力を伝えてくれる。岩波文庫の解説文として白眉の文章。

森銑三 解説文より

『古句を観る』の古句は、元禄時代の無名作家の手になつた俳句ばかりを集めてゐる。それでゐてその個々は今日出しても清新な句ばかりなのだから、元禄時代にかやうな句も出来てゐたのかと驚かされる。宵曲子は古い俳書をも丁寧に読んで、さうした句ばかりを集めてゐたので、その点に子の鑑識が窺はれる。・・子ならでは作ることの出来ぬ書物であつた。

宵曲氏は一歩退いて世を送らうとしてゐた控え目な人で、そのことは一部の人々に知られてゐるのに過ぎない。子は何ともいはれぬ気持ちのよい人で、その実力は子を知る限の先輩同輩の等しく認めるところであつた。

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ABOUT ME
冨田鋼一郎
冨田鋼一郎
文芸・文化・教育研究家
日本の金融機関勤務後、10年間「学ぶこと、働くこと、生きること」についての講義で大学の教壇に立つ。

各地で「社会と自分」に関するテーマやライフワークの「夏目漱石」「俳諧」「渡辺崋山」などの講演活動を行う。

著書
『偉大なる美しい誤解 漱石に学ぶ生き方のヒント』(郁朋社2018)
『蕪村と崋山 小春に遊ぶ蝶たち』(郁朋社2019)
『四明から蕪村へ』(郁朋社2021)
『論考】蕪村・月居 師弟合作「紫陽花図」について』(Kindle)
『花影東に〜蕪村絵画「渡月橋図」の謎に迫る』(Kindle)
『真の大丈夫 私にとっての漱石さん』(Kindle)
『渡辺崋山 淡彩紀行『目黒詣』』(Kindle)
『夢ハ何々(なぞなぞ)』(Kindle)
『新説 「蕪」とはなにか』(Kindle)
『漱石さんの見る21世紀』(Kindle)
『徹底鑑賞『吾輩は猫である』』(Kindle)
『漱石さんにみる良い師、良い友とは』(Kindle)
『漱石さん詞華集(アンソロジー)』(Kindle)
『曳馬野(ひくまの)の萩』(Kindle)
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