読書逍遥

読書逍遥第214回 『オランダ紀行』(その3)街道をゆく35 司馬遼太郎著

冨田鋼一郎

『オランダ紀行』(その3)街道をゆく35 司馬遼太郎著

司馬遼太郎が、オランダに行くことを決めた淵源は杉田玄白にある

司馬遼太郎の真骨頂である前置きが長々と続く

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杉田玄白の『解体新書』の訳業は、前野良沢(1723-1803中津藩の藩医)がかすかにオランダ語を知っているということだけが頼りで、辞書もなく、またオランダ語通詞の助けもなく、全くの手探りだった。

玄白は長命した。彼が83歳のとき、四十余年前のこの翻訳当時のことを回想した『蘭学事始』を書いたとき、

 誠に艣舵(ろかじ)なき船の大海に乗り出せしが如く、茫洋として寄るべなきかたなく、たゞあきれにあきれて居たりまでなり

と述べている。

訳業は一年十ヵ月かかり、『解体新書』という題で刊行(1774)された。日本のオランダ学はこのときから始まったといっていい。

玄白の『蘭学事始』は、筆写本だった。
幕末、その一本を神田孝平が湯島の露店で見つけたときはほとんど世から忘れ去られていたが、福沢諭吉がこの内容に感動し、明治2年(1869)という維新の騒然たる時期に、自費で刊行した。

福沢は、この本が、日本の営みを知る上での宝であるとした。
また、前傾の”艣舵なき船”のくだりを読むにいたって、涙が溢れてしかたがなかったという。

その営みの末裔として、アメリカでの福沢青年がいる。彼が、アメリカの機械文明に腰を抜かさずにすんだのは、杉田玄白以来の無数の先人たちの労力のたまものだったのである。

むろんその淵源がオランダ国にある事は言うまでもない。

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ここまでを念頭において、読者は著者とともにオランダへの旅に出る。

[オランダ国内地図]
この地図にすがりながら読み進める

フェルメールのデルフトの街は何処だろう

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ABOUT ME
冨田鋼一郎
冨田鋼一郎
文芸・文化・教育研究家
日本の金融機関勤務後、10年間「学ぶこと、働くこと、生きること」についての講義で大学の教壇に立つ。

各地で「社会と自分」に関するテーマやライフワークの「夏目漱石」「俳諧」「渡辺崋山」などの講演活動を行う。

著書
『偉大なる美しい誤解 漱石に学ぶ生き方のヒント』(郁朋社2018)
『蕪村と崋山 小春に遊ぶ蝶たち』(郁朋社2019)
『四明から蕪村へ』(郁朋社2021)
『論考】蕪村・月居 師弟合作「紫陽花図」について』(Kindle)
『花影東に〜蕪村絵画「渡月橋図」の謎に迫る』(Kindle)
『真の大丈夫 私にとっての漱石さん』(Kindle)
『渡辺崋山 淡彩紀行『目黒詣』』(Kindle)
『夢ハ何々(なぞなぞ)』(Kindle)
『新説 「蕪」とはなにか』(Kindle)
『漱石さんの見る21世紀』(Kindle)
『徹底鑑賞『吾輩は猫である』』(Kindle)
『漱石さんにみる良い師、良い友とは』(Kindle)
『漱石さん詞華集(アンソロジー)』(Kindle)
『曳馬野(ひくまの)の萩』(Kindle)
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