第76回『この言葉!生き方を考える50話』森本哲郎
冨田鋼一郎
有秋小春
司馬遼太郎が、オランダに行くことを決めた淵源は杉田玄白にある
司馬遼太郎の真骨頂である前置きが長々と続く
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杉田玄白の『解体新書』の訳業は、前野良沢(1723-1803中津藩の藩医)がかすかにオランダ語を知っているということだけが頼りで、辞書もなく、またオランダ語通詞の助けもなく、全くの手探りだった。
玄白は長命した。彼が83歳のとき、四十余年前のこの翻訳当時のことを回想した『蘭学事始』を書いたとき、
誠に艣舵(ろかじ)なき船の大海に乗り出せしが如く、茫洋として寄るべなきかたなく、たゞあきれにあきれて居たりまでなり
と述べている。
訳業は一年十ヵ月かかり、『解体新書』という題で刊行(1774)された。日本のオランダ学はこのときから始まったといっていい。
玄白の『蘭学事始』は、筆写本だった。
幕末、その一本を神田孝平が湯島の露店で見つけたときはほとんど世から忘れ去られていたが、福沢諭吉がこの内容に感動し、明治2年(1869)という維新の騒然たる時期に、自費で刊行した。
福沢は、この本が、日本の営みを知る上での宝であるとした。
また、前傾の”艣舵なき船”のくだりを読むにいたって、涙が溢れてしかたがなかったという。
その営みの末裔として、アメリカでの福沢青年がいる。彼が、アメリカの機械文明に腰を抜かさずにすんだのは、杉田玄白以来の無数の先人たちの労力のたまものだったのである。
むろんその淵源がオランダ国にある事は言うまでもない。
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ここまでを念頭において、読者は著者とともにオランダへの旅に出る。
[オランダ国内地図]
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フェルメールのデルフトの街は何処だろう