「則天去私」
いつも己に拘泥してきた漱石が行き着いた境地が「則天去私」とされる。しかし、則天去私について書いた文章は見当たらない。
硝子戸の中の最後39には、多少それをうかがうことができる個所がある。絶筆ともいえる透徹した文章だ。
「軽い風が時々鉢植えの九花蘭の長い葉を動かしにきた。庭木の中で、鶯が折々下手なさえずりを聞かせた。毎日硝子戸の中に座っていた私は、まだ冬だ冬だと思っているうちに、春はいつしか私の心を蕩揺し始めたのである。
私の瞑想はいつまですわっていても結晶しなかった。筆をとって書こうとすれば、書く種は無尽蔵にあるような心持ちもするし、あれにしようか、これにしようかと迷い出すと、もう何を書いてもつまらないのだという呑気な考えも起こってきた。
しばらくそこにたたずんでいるうちに、今度は今まで書いたことが全く無意味のように思われ出した。なぜあんなものを書いたのだろうと言う矛盾が私を嘲弄し始めた。
ありがたいことに私の神経は静まっていた。この嘲弄の上に乗って、ふわふわと高い瞑想の領分にのぼっていくのが、自分には大変な愉快になった。自分の馬鹿な性質を雲の上から見下ろして笑いたくなった私は、自分で自分を軽蔑する気分に揺られながら、揺籃の中に眠る子供に過ぎなかった。
私は今まで私のことをごちゃごちゃに書いた。人の書くときには、なるべく相手の迷惑にならないようにとの懸念があった。私の身の上を語る時分には、かえって比較的自由な空気の中に呼吸することができた。
それでも私はまだ私に対して全く色気を取り除き得る程度に達していなかった。嘘をついて世間を欺くほどの衒気がないにしても、もっと卑しいところ、もっと悪いところ、もっと面目を失するような自分の欠点を、つい発表しずにしまった。
セントオーガスチンの懺悔、ルソーの懺悔、オビアムイーターの懺悔。それをいくらたどっていっても、本当の事実は、人間の力で叙述できるはずがないと、誰かが言ったことがある。まして、私の書いたものは懺悔ではない。
私の罪は、もしそれを罪と言い得るならば、すこぶる明るいところからばかり映されていただろう。そこにある人は、一瞬の不快を感じるかもしれない。
しかし私自身は今、その不快の上にまたがって、一般の人類を広く見渡しながら微笑しているのである。今までつまらないことを書いた自分をも、同じ目で見渡して、あたかもそれが他人であったかの感を抱きつつ、やはり微笑しているのである。」
漱石の人生を表すに相応しい言葉は他にある。