奥瀬英三「牡丹」油彩画
冨田鋼一郎
有秋小春
身やことし高野でならば花の春 任口
季語:花の春(春)新年の美称。
桜を謳歌する高野で、ことしは清々しい新年を迎えることができたことよ。
芭蕉の「野ざらし紀行」の旅中伏見で、任口上人と会って次の句を詠んでいる。
伏見西岸寺任口上人に逢て
わが衣(きぬ)にふしみの桃の雫せよ
花は桜の別名であり、賞美のこころを含む。「花の春」は、華やかさ、生命力をたたえたことばである。「花の春」で思い出すのは、蕪村『安永三年春帖』巻頭にあるつぎの三ツ物の蕪村の発句、
花の春誰ソやさくらの春と呼 蕪村
若くさの戸の二日月ぞも 雪店
雉子(きゞす)啼孤村の夕(ゆふべ)水見へて 宰町
花は桜の花を指すからといって、「さくらの春」などと言ってもらいたくない。そんな野暮なことを言うのはいったい誰なのかと、軽く戯れた。
京都伏見西岸寺第三代住職。任口は俳号。芭蕉との最初の縁は定かではない。『野ざらし紀行』の旅中伏見で任口上人に会って「わが衣に伏見の桃の雫せよ」と詠んでいる。