西山宗因筆「けふとなふ」句短冊幅
冨田鋼一郎
有秋小春
筏さす人もゆかしき嵯峨の奥 月渓?
季語:無季
文字を反転させてある。 当時、このような遊びがあったのだろうか?短冊は、木版の筏士の図があしらわれている。作者は、月渓と思われる。
嵯峨は、古来洛西の一名邑にして大堰川に沿ふて木材集荷の地点なり。亀山小倉山の麓上嵯峨、下嵯峨間一帯を総称して、嵯峨野と呼べり。古へ雲の上人達が月に憧れ、虫の音を聞きしところにして、名所旧跡付近に散在し、和歌に俳句に風流人の憧憬尽きざるところなり。
『俳人の書画美術』第11巻「江戸の画人」NO49に、月渓筆の「嵐山風姿自画賛」がある。大堰川の筏乗りの画によって嵐山付近の情景を情趣ゆたかに表現している。
六月やみねに雲おくあらし山 はせお翁の句 月渓写
蕪村にも嵯峨を詠んだ句はたくさんある。
暁台とともに嵯峨・伏見に遊ぶ
夜桃林を出て暁嵯峨の桜人 蕪村
花を踏し草履も見えて朝寝かな 蕪村
嵯峨へ帰る人はいずちの花に暮れし 蕪村
嵐山の花見にまかりけるに俄に風雨しければ
筏士のみのやあらしの花衣 蕪村
江戸中期の絵師。別号、月渓。