草花全24図
冨田鋼一郎
有秋小春
紙本淡彩「晋我翁(北寿)図」
落款 「浪華四明」
印 「四明山人」「淀水」
早見晋我翁(はやみしんが 老号「北寿」)は、蕪村が過ごした結城において酒造業を営む豪商。1745年、75歳で没するまでの最晩年の三年間、45歳も年下の蕪村を温かく迎え入れてくれた人物。
晋我翁を第ニの父親と仰ぐ蕪村の敬愛の情は、前屈みで紋付きの羽織姿、面長で福耳・垂れ目の表情と仕種によく現れている。
晋我翁の晩年は、身も心も満ち足りた幸せな晩年だったことが窺える。
なお、蕪村には晋我翁を悼んだ有名な新体詩「北寿老仙をいたむ」がある。
「北寿老仙をいたむ」冒頭の一節は、次の通り。
「君あしたに去ぬゆふべのこゝろ千々に
何ぞはるかなる
君をおもふて岡のべに行つ遊ぶ
をかのべ何ぞかくかなしき」
悲しみにくれる心情は、まるで明治時代の詩のようなリリシズム。江戸時代にこのような西洋的で近代的な詩を作った人はいない。近代精神はもう蕪村の近くまできていた。
この絵画と新体詩「北寿老仙をいたむ」とは今後セットとして鑑賞されることになるだろう。