読書逍遥

第57回『音楽への旅』森本哲郎

冨田鋼一郎

『音楽への旅』森本哲郎

「音楽とは何か。
音楽は音楽さ、それ以上に何を考える必要があろう、と思う人がいるかもしれない。たしかに音楽は耳で聴くものである。聴いて愉しむものである。あるいは慰められるものである。演奏し、うたい、そして心を満たされるものだ。

しかし、曲が終わったとき、演奏がぴたりとやんだとき、その曲の余韻に浸りながら、人は時として、音楽とは何か、という問いを考えさせられるのではなかろうか。その感動が深ければ深いほど。その幸福が大きければ大きいほど。」

この「序曲」(書き出し)の文章で森本哲郎さんの世界にグッと引き込まれてしまう。

ついでに「終曲」(終わりに)から一節。

「美しい旋律、こころよい和音、それが終わって静けさのなかへ消えてゆくとき、私の胸に浮かぶ一句がある。

 牡丹散て打かさなりぬニ三片 蕪村

牡丹の花びらが風もないのに散って、ニ、三片重なったというのである。

牡丹の花びらの散る音、重なる音はどんなものなのであろうか。私の心のなかで牡丹の花弁の鮮やかな色彩と、同時に、そのかそけき音がかすかに伝わってくるような気がする。」

私はこれまでの人生の途上でどんな音楽と出会い、いまなお記憶に深く刻まれている音はなんだろう。

毎年夏休みに過ごした故郷の浜松郊外の田舎。60年も前のことなのに昼寝のとき、遠くの遠州灘中田島砂丘の方から繰り返し聞こえてきた潮騒の音が耳の底に遺っている。

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ABOUT ME
冨田鋼一郎
冨田鋼一郎
文芸・文化・教育研究家
日本の金融機関勤務後、10年間「学ぶこと、働くこと、生きること」についての講義で大学の教壇に立つ。

各地で「社会と自分」に関するテーマやライフワークの「夏目漱石」「俳諧」「渡辺崋山」などの講演活動を行う。

著書
『偉大なる美しい誤解 漱石に学ぶ生き方のヒント』(郁朋社2018)
『蕪村と崋山 小春に遊ぶ蝶たち』(郁朋社2019)
『四明から蕪村へ』(郁朋社2021)
『論考】蕪村・月居 師弟合作「紫陽花図」について』(Kindle)
『花影東に〜蕪村絵画「渡月橋図」の謎に迫る』(Kindle)
『真の大丈夫 私にとっての漱石さん』(Kindle)
『渡辺崋山 淡彩紀行『目黒詣』』(Kindle)
『夢ハ何々(なぞなぞ)』(Kindle)
『新説 「蕪」とはなにか』(Kindle)
『漱石さんの見る21世紀』(Kindle)
『徹底鑑賞『吾輩は猫である』』(Kindle)
『漱石さんにみる良い師、良い友とは』(Kindle)
『漱石さん詞華集(アンソロジー)』(Kindle)
『曳馬野(ひくまの)の萩』(Kindle)
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