第89回『気候変動と環境危機 いま私たちにできること』'The Climate Book'グレタ・トゥーンベリ編著
冨田鋼一郎
有秋小春
「音楽とは何か。
音楽は音楽さ、それ以上に何を考える必要があろう、と思う人がいるかもしれない。たしかに音楽は耳で聴くものである。聴いて愉しむものである。あるいは慰められるものである。演奏し、うたい、そして心を満たされるものだ。
しかし、曲が終わったとき、演奏がぴたりとやんだとき、その曲の余韻に浸りながら、人は時として、音楽とは何か、という問いを考えさせられるのではなかろうか。その感動が深ければ深いほど。その幸福が大きければ大きいほど。」
この「序曲」(書き出し)の文章で森本哲郎さんの世界にグッと引き込まれてしまう。
ついでに「終曲」(終わりに)から一節。
「美しい旋律、こころよい和音、それが終わって静けさのなかへ消えてゆくとき、私の胸に浮かぶ一句がある。
牡丹散て打かさなりぬニ三片 蕪村
牡丹の花びらが風もないのに散って、ニ、三片重なったというのである。
牡丹の花びらの散る音、重なる音はどんなものなのであろうか。私の心のなかで牡丹の花弁の鮮やかな色彩と、同時に、そのかそけき音がかすかに伝わってくるような気がする。」
私はこれまでの人生の途上でどんな音楽と出会い、いまなお記憶に深く刻まれている音はなんだろう。
毎年夏休みに過ごした故郷の浜松郊外の田舎。60年も前のことなのに昼寝のとき、遠くの遠州灘中田島砂丘の方から繰り返し聞こえてきた潮騒の音が耳の底に遺っている。