秋の気配
冨田鋼一郎
有秋小春
木蓮の花許(ばか)りなる空をみる 漱石
今年もハクモクレンの季節になった。
「木蓮の色はそれではない。極度の白きをわざと避けて、あたたかみのある淡黄に、奥床しくも自らを卑下している。」
この花弁の乳白色の色に惹かれる。
そしてチャーチルの油絵「マグノリア」を思い出す。
漱石『草枕』から木蓮の描写を書き写して味わう。
「石畳を行き尽して左に折れると庫裏(こり)へ出る。庫裏の前に大きな木蓮がある。・・見上げると頭の上は枝である。枝の上も、また枝である。そうして枝の重なり合った上が月である。普通、枝がああ重なると、下から空は見えぬ。花があればなお見えぬ。木蓮の枝はいくら重なっても、枝と枝の間はほがらかに隙(す)いている。木蓮は樹下に立つ人の眼を乱すほどの細い枝をいたずらには張らぬ。花さえ明らかである。この遥かなる下から見上げても一輪の花は、はっきりと一輪に見える。・・花の色はむろん純白ではない。いたずらに白いのは寒過ぎる。もっぱらに白いのは、ことさらに人の眼を奪う巧みが見える。木蓮の色はそれではない。極度の白きをわざと避けて、あたたかみのある淡黄に、奥床しくも自らを卑下している。余は石畳の上に立って、このおとなしい花が累々とどこまでも空裏(くうり)にはびこるさまを見上げて、しばらく茫然(ぼうぜん)としていた。目に落つるのは花ばかりである。葉は一枚もない。
木蓮の花許りなる空をみる
という句を得た。どこやらで、鳩がやさしく鳴き合うている。」