読書逍遥第242回 『フェルメールと天才科学者』(その3)
冨田鋼一郎
有秋小春
私は、60代の10年間大学の教壇に立ち、「教える」と「学ぶ」についてずっと自問自答してきたように思う。良い教育とは何なのか。
先生になるとは、これまで学んできたこと(インプット)を有用な知識として教え授ける(アウトプット)ことだと思っていたが、とんでもない。
「教える」と「学ぶ」との間には、実に奥深い心の相互作用がある。
こんなことに気づかせてくれたのが、『先生はえらい』だ。何度も読み返し、腑に落ちた。目からウロコとはこのことだ。
本書は全国の教育現場で悩める教師への応援讃歌になったのではないだろうか。
10年間の教師体験はささやかだったが、私にとって醍醐味を味わうことが出来、自分の殻を破ることができたと思う。その延長線上に今がある。
新著『複雑化の教育論』は、さらに敷衍した講演録。子供たちの成熟、すなわち、複雑化していくことを支援するのが教師の仕事だ。
久しぶりに意味深淵な言葉に耳を傾けた。