蕪村の「紫陽花」と「朝顔」
冨田鋼一郎
有秋小春
10年ほど前の思い出話を一つ。
福島第一原発事故は防ぐことができたのではないかという議論が起きていた頃、ある大学で「科学コミュニケーター」の講演を聴きに行ったことがある。
どんな話をどのように話すのか、そもそも「科学コミュニケーター」とはどのような人なのかを知りたかった。
ポスドクらしい若い女性が壇上にあがった。
採り上げたのは、ヒッグス粒子発見の話題だった。
この発見がどんなに画期的なことなのか、息を弾ませて話してくれた。
よほど胸躍らせる出来事だったのだろう。伝えたいという熱意は伝わってきた。
でも原発事故など全く眼中にないようだった。
何故「影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」が上手く機能しなかったのか。
質疑で、スピーディーは放射能拡散時の住民退避に役に立たず、専門家のための単なるオモチャだったのかを質問した。
「科学コミュニケーター」とは、専門家と社会の間を繋ぐ双方通行の役割だ。
専門的な事柄を一方的に説明するだけでなく、聴き手として一般の聴きたいことや心情を汲み取り、専門家に届ける役割も担うべきだ。
「科学コミュニケーター」は片手間でできるものではない。
思いつくのがマット・リドレーだろう。
彼のプロフィールには、「科学・経済啓蒙家」とある。スケールの大きな人物だ。啓蒙家とは彼に相応しい。