小林勇のエッセイ(その5)随筆「硯』(『小閑』より)


私は小林勇の身辺エッセイが好きだ。自分の気持ちを正直に書くところに惹かれる
彼は、終生、ペンと絵筆を手放さなかった。どちらも自己表現の手段だったのだ
鎌倉の自宅で静かに原稿や画紙に向かっているときの心持ちがエッセイにもよく表れている
一人でいても心豊かな時間を過ごした
『小閑』の中からいくつか書き留めておいたものをシリーズでここに載せる
[小林勇 「花瓶のバラ」部分]
落款に「左手」と添えてある
晩年、小林勇はリウマチに苦しみながらも左手に絵筆を持ち換えて絵を描くことを辞めなかった
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「硯』
絵を描き出した頃は、家にあったつまらない硯を使って平気でいた。そのうちなんとなく硯に興味を持った。いろいろの硯を見ると自然にその良否がわかるようになった。人にもいろいろ教わった。自分で上等のやつを買うほど金は無いので、そういう気は起こらなかった。
初めて人から良い硯をもらった時は嬉しかった。岩波茂雄が晩年どうしたことか硯に興味を持った。最もそれは端渓だけに限られていた。
はじめ中国の骨董を扱っている店で、端渓の硯版を見つけたということだ。それは長方形で実にきっちりと截られていた。長い方が7寸ぐらい、短い方が4寸5分、厚さが8分である。典型的な水帰洞の端渓であった。よほど大切にしてあったと見えて使った形跡はほとんどなかった。
当時の500円と言えば大金であるが、岩波はこれを見たときすぐ買うことにして金を払った。先ほどまでその硯を熱心に見ていた老夫婦がおって、店から出て行ったのだが、岩波が金を払った直後に夫人だけ再び急ぎ足で戻ってきた。そしてその硯を買いたいと言った。その老夫婦は北沢楽天夫妻だったのだという。
私は岩波にその硯をくれとねだったが、「やっても良いが、もう少し絵が上手くなったら」と笑っていた。岩波の死後形見にもらった。眺めても触っても実に気持ちがよい。墨は具合よく下りる。だが普段使うには惜しい気がしてしまってある。
松崎鶴雄の「雨の音」という随筆集には、端渓の硯について書いた立派な文章がある。それを読んで、今までぼんやり考えていたことが非常に現実的になり、一つ一つの端渓が、それぞれの形、性質を持っておるのを理解できた。
N夫人から端渓の風字硯と彫りの美しい硯をもらった。S氏が澄泥硯と木硯をくれた。斉藤茂吉、狩野亮吉、幸田露伴三先生の遺硯ももらった。柳瀬正夢の形見もある。陶硯をくれた人もあった。岩波が持っていた端渓の丸い大きな硯ももらった。自分で買ったものもある。
かくて私は中国人のいわゆる三百硯翁には遠く遠く及ばないが、十数個の硯の所有者になった。神保町の古道具屋で、数年前六百円で買った端渓は、裏に岩と梅花の美しい彫りがあり乾隆丁酉秋八月云々と銘があるが、多分中国流の「乾隆」であろう。しかしこの古びた硯はよほど人に使われたものと見えて、磨り減った感じである。墨を擦った具合の良さは格別である。私はこればかりを使っている。これらのものはいずれは他の硯とともに、バラバラになって、誰かの所へゆくのであろう。