再び富士川英郎先生のこと(ふじかわひでお1909-2003)
独文学者。詩人リルケの専門家。一般には江戸後期の漢詩人の評論で有名。
1986年先生77歳、先生が投稿された新聞記事を書き留めた。大学退官後、日々を「規則正し」く生活を送っているという。
当時私は38歳。自分は老後をどのような心持ちで過ごすのだろう。まだ想像も出来なかった。
こんな先生の老後の暮らし方は羨ましいな、でも自分にはとてもこんな日々は縁遠いと感じた。
しかし、私も先生の歳に近づいた今、改めて読み直してみると、先生の心持ちとそんなに違わないかもしれない。
ただ似ていると思うことは、
○身辺の自然に目を向けること
○興味のある世界を持っていること
○テレビ娯楽番組を見ること(きっと私の方が見てる時間が長い)
○お金に恬淡としていること
など
違う点は、
○先生はいつも「書く」テーマを持っていること。
○私は頭の中が断片的な情報で始終ぐるぐるしてること。
ただ手当たり次第読書して、何かが自分の中で発酵するまで待っているだけ。締切を設定していないからいつまでも完結しない。
そんなに焦ることはない。「小春日和のような静かな日々」が与えられていることを「老人の特権」として感謝しよう。
先生は、製本の良い小澤書店を好んで使った。
富士川英郎先生に一度もお目にかかれなかったのは残念。
☆☆☆
富士川英郎 「夕陽無限好」
(「東京新聞」昭和61年4月3日)
久しい間の教師生活に別れを告げて、どこの大学にも出講しなくなってから、すでに二年になる。そして現在は、自由になった日々を、それこそ十年一日の如く、まるで定規をあてたように、規則正しく暮らしている。
私はたいへんな朝寝坊で、午前十一時頃に起る。そして朝食と昼食を兼ねた軽い食事をとったのち、新聞を読んだり、手紙を書いたりして一時をすごす。それからたいてい午後一時半か、二時頃に散歩に出かけるが、この散歩は、雨天でない限り、四季を通じて毎日するのである。
さいわい鎌倉に住んでいるので、散歩道に事欠くことはなく、たいてい二時間近く主としてあちこちの山道を歩いている。そして行きつけの喫茶店で珈琲を飲んで、帰宅する。喫茶店では二、三の友人と出会うこともあって、そんなときはしばらく談笑して時をすごす。
家に帰ってしばらくすると、夕食であるが、夕食にはいつもビールの中壜を一本飲み、御飯を茶碗に軽く一杯食べる。そして食後に三十分ばかり、炬燵でうたた寝をしてから、老妻とふたりで、テレビを見たり、風呂に入ったりする。
それからやっと夜の九時半頃になって、本を読んだり、書きものをしたりしはじめるが、それも炬燵にあたりながらである。現在の私には書斎がない。以前あった書斎には書物が溢れて、読書や執筆する場所がなくなってしまったからである。
そんなわけで、私は一年の四分の三ほどの期間、炬燵で本を読んだり、ものを書いたりするが、これがなかなか快適である。
読書はもはや講義の準備のためのそれではなく、その時どきに読みたいものを読むのであり、執筆は必ずしもいつも愉しいとは限らず、時にそれが重荷となるようなこともあるが、もともとものを書くことが嫌いではないので、結局のところ、これも愉しいということになるだろう。
現在は数年前から詳細な菅茶山伝を執筆中であるが、いろいろ分からないことがあって、人名辞典などを引っ張り出して調べているうちに、夜が更けて、午前二時、三時となることが稀れではない。いずれにしても、午前二時以前に就寝することは滅多にないのである。
これが現在の私の日々である。これを毎日型に押したように、規則正しくくりかえしているが、決して退屈ではない。この私の毎日はいわば、「読み、書き、散歩」の日々であって、この三つとも、それぞれ多少とも愉しく、僅かながらいつも変化があるからである。このようにして私は現在、平凡で、いわば小春日和のような、静かな日々をすごしているが、私はこれを老人の特権だと思っている。