新刊紹介
冨田鋼一郎
有秋小春
江戸期に描かれた草花図巻を開いている。眺めていると、画家が草花の神秘に心躍らせながら筆を走らせていることが感じられ、ゆったりとした気持ちになる。
一方、現実に目を向けると、トルコ南部の大地震の被害・救出の現場やウクライナでの殺し合いが連日報道されている。人は助け合うのか、殺し合うのか、人間の本性はいったいどちらなのかと訝ってしまう。
トルコ震源地はシリアからの難民キャンプが多い場所だ。キャンプの人々はテント生活だから地震被害は小さかったかもしれない。しかしインフラが寸断されて物資が届かない恐れがある。
一般市民の住宅、インフラの方は甚大な被害だ。世界から実に素早い救急支援隊派遣や募金活動が立ち上がった。私たちは、瞬時に情報が届き、国境を越えて支援の枠組みができ、届ける手段を持っている。人道支援は遠くにいても当たり前のことだとする世界に生きている。
1755年のリスボン大地震の際には、人々はこのように反応は出来なかった。「何も悪いことをしていないのに、何故神様はこんな仕打ちをなさるのか」。自然の脅威に対して、神意、摂理を読み取ろうとし、嘆くばかりだった。世界が被害の事実を知るのに数ヶ月もかかった。
他人を思いやる気持ちは長い時間をかけて育まれてきたものだ。
ロシアのウクライナ侵攻は容易に停戦に至らないだろう。世界が侵攻は非人道的なことで、今の世では全く受け入れられない。更なる大きな悲劇が続く予感を悲しむ。