マイケル・マカロー『親切の人類史』2022年12月
冨田鋼一郎
有秋小春
月光(げつこう)西にわたれば花影(かえい)東にあゆむかな
平安夜半翁蕪村
季語:花影(春)
制作:安永六年
今日は立夏。桜が終わり、足早に夏がやってきた。
この句を賛にした俳画「渡月橋図」がある。(『蕪村全集』絵画遺墨所収No.47)
嵐山保津川に掛かる渡月橋あたりは桜の一大景勝地。一晩かけて月明かりで移動する花影の歩みを詠んだ句だ。
満月の明るい光に照らされる万物。桜が咲き満ちている。
明け方になって月は西空に傾いていくと、照らされる花影はゆっくり東に歩を進めていく。
作者は一晩中眺めていたのではないだろう。
といって目の前の一瞬を詠んだものでもない。時間を意識させる観念的な句とも言える。
蕪村には、その三年前に有名な句「菜の花や月は東に日は西に」という夕暮れの壮大な句を詠んでいる。
「月は東に」と「花影東に」。蕪村句には美の小宇宙が散りばめられている。
彼の求めた多彩な美の世界。その美しさの一端を見つけ、味わってみたい。
そう考えると、「東西」には特別な意味があると思えてきた。
これまで桜の蕾から開花、落花そして葉桜へとシーズンかけて、この句に向き合って、自分の中で何かが発酵してくるのを待っていた。
今ようやくまとまりつつあるので、論考を冊子にするつもりだ。