椿椿山筆「春草図」幅
冨田鋼一郎
有秋小春
いざよひのやミ雨しとゝ
降くらしつ誰■も
戸さしうちこもりて
去年ことしなといひくらへ
ゐけるにゆくりなく月の
ひかりさし出たりと人の
おとろかしけれハそこらおしひらきて
中天をいさよひの
月の
出かけかな
暮雨暁臺 印「龍門」「周挙」
季語:「いざよひ」秋(陰暦8月16日の夜)
待ち暮らした名月の夜が過ぎてしまい、今夜はいざよい。あいにく昼から曇天で長雨が続くため、外にも出かけることができない。皆、雨戸を閉ざして、家に篭って、「去年のいざよいの月は良かった。それに引き換え、今年はまったく残念なことだ」など言い合っていたが、夜が更けてきて、ああ、月が出てきたと、人びとが騒いでいる。まさかと思いつつ、あわてて戸を開けたところ、
いざよいの月が天の真上に顔を出してくださった。なんて安らかなお月様であることよ。名月は過ぎてしまったが、今夜は、月はためらい勝ちに雲間から空高くお出かけになったようだ。これで今年も安心して秋を過ごすことができる。ありがたいことだ。
暁臺は、蕪村とならび、中興期俳諧の双璧だと思う。
『連殊合壁集』
「いざよいの月とあらば、山の端、ゆくりなく(源氏夕顔)、槙の板戸」
【蕪村との交流】
蕪村は尾張の暁台を一目置いていた。両者のやりとりは、書簡などから伺える。中興俳諧を代表する両者が互いに意識しながら、緊張感を孕みながらの交流は興味深い。蕪村が春の詩人とすれば、暁臺は秋・冬の詩人といえるだろう。
江戸中期の俳人。久村氏とも。別号暮雨巷など。名古屋の人。天明俳諧中興の士を以て任じ、二条家から花の下宗匠の免許を受けた。蕪村らと交流。桜田臥央編「暁台句集」がある。