尾崎紅葉筆「源氏物語を読み侍りて思へる事ども」原稿巻子
冨田鋼一郎
有秋小春
天皇姓氏なきの弁
文科大学国文選科一年生
石橋助三郎
天皇に姓氏なきは云はでも知るき事なり。諸人の姓氏を用ゆるは銘々を区別せんが為なり。もと天皇は萬代不易唯一にましませば、などでこれに姓氏を附けて区別するの必要あらん。故に天皇に姓氏なきもまことにことわりなり。ここにおのれが特書して云はまく するは天皇に姓氏なきは我神国に限るの一事なり。世界広しといへども、何れの国の帝王もみな姓氏を持てり。これ我国の如く帝王万世一系ならぬによる。我国は未だかゝる帝王の位を奪わんなんど云ふ の白徒なきをもて天皇に姓氏なきなり。まま天皇に姓氏を用ゆる必要なきなり。我国の天皇に姓氏なきは我国人が君に精忠無二なるしるしにはあらずや。
あな嬉し。
これは、石橋助三郎(思案)が国文科1年生23歳(明治23年1890)の時に書いたレポート原稿である。思案は、尾崎紅葉のクラスメイトで、「天皇姓氏なきの弁」の課題を課せられたものと思われる。
ちなみに、同時期に書かれた尾崎紅葉の「天皇姓氏なきの弁」原稿は、岩波書店『紅葉全集』第12巻「書簡・逸文・未定稿・雑篇・補遺」382ページに翻刻されている。比較するのも面白い。紅葉の原本の所在は不明である。
小説家。本名、助三郎。東京帝国大学中退。 尾崎紅葉らとともに硯友社を創設し「我楽多文庫」を発行。
小説家。名は徳太郎。号は「縁山」「半可通人」「十千万堂」「花紅治史」など。物語の巧みさと艶麗な文章で、圧倒的人気を獲得、泉鏡花・小栗風葉・柳川春葉・徳田秋声らの逸材を出した。作「多情多恨」「金色夜叉」など。