骨董品

三上角上筆「月の宮」自画賛マクリ

冨田鋼一郎
H97.0 x W27.0 (cm)

つきの宮今宵落ちてか○の上 瞬匕亭角上写之 印

「鎌倉海道」や「宰陀稿本」には、「月の宮いつしか落て浮御堂」とある。
本自画賛は、これと異同があり、後に推敲されたものであろう。

明るい月夜に船を湖に出した。浮御堂の近くで何か光るものが落ちたように感じた。
あれがきっと恵心僧都が比叡山横川から眺め、掬い取らせた阿弥陀仏像かもしれない。ありがたいことだ。

月光と浮御堂は切り離せない。肝心な下五の一字が不明。「波の上?」か。土偏か?
芭蕉のもっとも思い出の深い地である近江堅田の地。角上も往時をも偲んでいるのだろう。

鋭角的なクセのある字使いは、角上独特のものである。

満月寺浮御堂(まんげつじうきみどう)

滋賀県大津市堅田琵琶湖畔の臨済宗大徳寺派海門山満月寺にある、湖上に突き出た仏堂。近江八景「堅田の落雁」で名高い。「堅田(の)浮御堂」の通称でも知られている。

伝によれば、恵心僧都が比叡山横川から琵琶湖をながめると、毎夜、その光明の赫々(かくかく)たるを怪しみ、網でこれを掬(すく)いとらせると、1寸8分の黄金の阿弥陀仏像であった。
よって魚類殺生供養のために阿弥陀仏像1体を造り、その体内にこれをおさめ、1000体の阿弥陀仏像をも奉安し、浮御堂を創建したという。
荒廃したときもあったが、桜町天皇は禁中の能舞台をたまわり、これを再興した。松尾芭蕉も訪れた。

三上角上(みかみかくじょう1675-1747)

瞬匕亭・夕陽観・百布軒。堅田本福寺十二世住職。千那の養子。蕉門。権現僧都法印に叙されたが、延享元年に退隠し、京都三条橋東に瞬匕亭を結び、祇空、淡々、大圭らと風流韻事にふけった。寛保三年(1743年)芭蕉五十回忌には義仲寺に芭蕉翁行状碑を建立した。絵をもよくし、角上筆芭蕉画像は広く知られている。

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ABOUT ME
冨田鋼一郎
冨田鋼一郎
文芸・文化・教育研究家
日本の金融機関勤務後、10年間「学ぶこと、働くこと、生きること」についての講義で大学の教壇に立つ。

各地で「社会と自分」に関するテーマやライフワークの「夏目漱石」「俳諧」「渡辺崋山」などの講演活動を行う。

著書
『偉大なる美しい誤解 漱石に学ぶ生き方のヒント』(郁朋社2018)
『蕪村と崋山 小春に遊ぶ蝶たち』(郁朋社2019)
『四明から蕪村へ』(郁朋社2021)
『論考】蕪村・月居 師弟合作「紫陽花図」について』(Kindle)
『花影東に〜蕪村絵画「渡月橋図」の謎に迫る』(Kindle)
『真の大丈夫 私にとっての漱石さん』(Kindle)
『渡辺崋山 淡彩紀行『目黒詣』』(Kindle)
『夢ハ何々(なぞなぞ)』(Kindle)
『新説 「蕪」とはなにか』(Kindle)
『漱石さんの見る21世紀』(Kindle)
『徹底鑑賞『吾輩は猫である』』(Kindle)
『漱石さんにみる良い師、良い友とは』(Kindle)
『漱石さん詞華集(アンソロジー)』(Kindle)
『曳馬野(ひくまの)の萩』(Kindle)
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