平野五岳筆絹本捲り
冨田鋼一郎
有秋小春
宇治山の南、田はらの
里のおくふかく
茸狩し侍りけるにわかき
どちは得物を貪り、先を
争ひ余遥におくれて心
静にくまぐまさがしもとめ
けるに 菅の小笠ばかりなる松
茸五本を得たり あな
めざまし いかに宇治
大納言隆国は平茸の
あやしきさたはかいとめ給ひて、
まど松茸のめでたきは
もらし給ひけるにや
君みよや拾遺の
茸の露五本
夜半翁
の句也
呉月渓 印
この俳文「宇治行」は、蕪村最晩年の天明3年(1783年)の秋、門人の毛条に招かれて宇治に遊んだ際の作。
この時の紀行は、蕪村独特の美文で記され、「蕪村翁文集」に登載されている。
老いた蕪村は茸狩を楽しんだとみえる。
「おおい、競い合いわれ先にと急ぐ若者衆。お前さんたちはこんなに大きな松茸を五本も拾いのこしているではないか」と、得意げに子供のように喜んでいる。
宇治大納言隆国は「宇治拾遺物語」の作者とされる。宇治の地名からのしゃれである。蕪村は宇治から帰ると間もなく病床につき、その年の12月25日の未明に世を去った。
月渓の記憶違いだろうか、文に多少の異動がある。松茸画は香まで匂ってくるようだ。
なお、右脇にある「露」字は、松江藩主で、茶人としても知られる松平不昧によるもの。掛軸の風帯および上下一文字は、いずれも葵御紋で表装されている。
月渓と不昧の殿様が、直接に交流したかは判然としない。殿様に直に献じたのであれば、目上であるので師であっても「夜半翁」とはしないだろうから。
江戸中期の大名。出雲松江藩主。号は不昧(ふまい)。文人と広く交わり、酒井宗雅・酒井抱一兄弟をはじめ彼から影響を受けた茶人も多い。不昧好みの茶室では松江の菅田庵が著名。
江戸中期の画家。尾張の人。号月渓。