スタバのお店
冨田鋼一郎
有秋小春
元禄7年(1694)(芭蕉最晩年)春の作
季語: 餅つき(冬)
江戸の習慣では、二十九日の餅つきは苦餅といって嫌われたので、二十七、八日ごろの餅つき。夜を徹して行われた。
有明の月:月の出が夜ごとに遅くなってゆく陰暦二十日すぎ、夜明けがたまで細く空に残っている月。
ここに尾形仂の鑑賞を抜粋する。専門家のコメントには学ぶことが多い。
(『「おくのほそ道』を語る』より)
空のたたずまいと地上の営み、有明の月という視覚の世界と餅をつく音という聴覚の世界の対比を通して、賑やかな餅の音の中で日ごとに細くなりまさる月の形に、日一日と年の終りの近づいてゆくのを嘆ずる、一種人生的な詠嘆をひびかせています。
それだけではありません。実はこの句は、「三十日に近し」という言い方を通して、『徒然草』の作者兼好が、伊賀の国見山の麓で没する時、死を前にして詠んだと伝えられる「ありとだに人に知られぬ身のほどやみそかに近きあけぼのの空」の和歌のイメージを重ねたものでもあったのです。
二月二十八日夜の作と伝えられる兼好の歌は、「みそか」に「ひそか」の意を掛け、世にあるとさえ(まだ生きているということさえ)人に知られないでひっそりと生きている自分の境遇を、みそかに近い有明月が人にも知られず消えぎえと空にかかっているのにたぐえたもので、この兼好の歌をふまえた作であったことを知れば、芭蕉の作はいっそう深い人生的嘆きを伴って迫ってくるでしょう。
つまり、死を前にした兼好と同じく、有明の月のように世に忘れられた無用者としての悲しみと、年の終りの近づくとともにわが生も終りに近づいてゆく、生の限り、人生の終りを予感する者の嘆きが深く焼きつけられていたのでした。