父の思い出(終)
今年は父の7回忌にあたる。
大正4年(1915)〜平成28年(2016) 、101歳5ヶ月。
母は 大正11年(1922)〜平成30年(2018)、95歳2ヶ月。
僕の直接に知っている父は、戦後の銀行員時代から。軍人だったのは、生まれる前だ。
戦地という極限状態で過ごしたことで、人間観・人生観など人格形成に大きな影響が受けたはずだ。
子供の時、僕が何か問題を起こして父の前に座らされると、それだけで何故かうなだれてクシュンとなった。
戦後、軍人から企業戦士へ。父は自分の中で精神的な大転換をどのようにして乗り越えたのだろう。
組織をリード、統率していく力を養ったのは軍隊経験だったことは想像に固くない。
子供時代の正月には、親族の集まりだけでなく、行員たちが大勢家に押し寄せた。恒例の行事とはいえ、おせちの準備など母はさぞかし大変だったろう。皆の前で歌を歌わせられて閉口した。
週末には銀行の運動場でテニスをしに行く。部下が野球試合で怪我をしたときに、父は「うちの子が、、」と呟いたことを鮮明に覚えている。父にとって部下らは家族のメンバーととらえていた。
家にはハンコが並んだ稟議書の分厚いバインダーを持ち帰って、コタツに入りながら夜中まで決裁印を押していた。
「自分の仕事=自分のため=会社のため=社会のため」の同心円であることが実感ができた羨ましい時代だった。日本の復興・高度成長期を支えた勤勉は、このような仕事の手応えだったと思う。
「皆さまとともに歩む銀行」という標語を誇りにしていた。私はこのような父の背中を見て育った。
銀行退任後、関連会社に移って非常に長くお世話になった。
90代後半は、デイサービスにもお世話にならずほとんど自宅で過ごした。病気には無縁だった。
今、七回忌を機に父を偲び、これからの自分に残された時間の過ごし方に想いを馳せている。
(この家族写真は、大学生の頃箱根強羅公園で撮った。55年前だ。左から弟、母、祖母、自分、父。写真とはこのように誰かに撮ってもらうものだった。誰に撮ってもらったのか記憶にない。)