蕪村『安永三年春帖』
冨田鋼一郎
有秋小春
紙本墨画淡彩
款記 「四明山人」
印 「四明山人」(朱文方印)
「長滄」(朱文方印)
落款から20代後半から30代前半に過ごした結城下館時代のものと判明する。
「座の文芸」、句会の様子を描き留めてくれた。丁稚だろうか、向かって右脇の若者二人が短冊を手に沈思黙考中。
この中に蕪村自身がいると考えるのは楽しいことだ。
28歳での奥州大行脚は、頭を丸めて僧体だった。行脚直後とすれは、宇都宮かもしれない。
その時の『寛保四年宇都宮歳旦帖』は、蕪村自身の初の撰集で、また、初めて「蕪村」の号を用いた記念すべきもの。
とすれば中央の宗匠脇で机の前に座っている執筆(書紀)が蕪村だろう。
巻尾に載せた、
古庭に鶯鳴ぬ日もすがら 蕪村
芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」を念頭に、今日は鶯となっての初音でしたが、蕪村となった私(鶯)はこれからも鳴き続けていきますと決意表明だ。
歳旦帳には結城、下館、宇都宮、関宿、佐久山など近隣だけでなく、江戸の俳人らの名も見える。
俳諧は、産業交易の発展とともにネットワークによる庶民の文化となって広まっていった。