富安風生筆五句色紙張り混ぜ額
冨田鋼一郎
有秋小春
王昭君は三千の宮女の中より選れしが画工毛延寿に賄賂せざれば、醜く書くべきをうつくしく書なされて、つゐに心にもあらぬ胡国の寵をうけり。今又予が姿を画る。
月窓は旧友なれば、我老衰の顔色を補ふ。
鶯の巣に居て似ぬよほとヽぎす
東武神田柳下種(ギョウニンベン)
七十八叟後有無庵存義 印 印
《王昭君》
前1世紀ごろの漢の宮女。匈奴の呼韓邪単干にとつぐ。匈奴との和親政策の犠牲となり、その地で死んだ。その哀話を題材として作品は多い。
泰里(有無庵存義二世)七十八歳とあり、没する1年前の文政元年(1818)の作。前文は、例の王昭君の故事をふまえている。
句は、時鳥が 宅卵し、その孵った時鳥の卵が鶯に似ないことに、王昭君の例を引きながら、己が老衰の姿を旧友の月窓が上手く描いてくれる画姿を掛けたもの。
別号、河上庵、五席庵。江戸深川の旧家に生まれ、姉の古友尼とともに一世存義の門で俳諧を学び、泰里号を譲られる。師の没後は、有無庵存義二世を号した。明和六年(1769年)冬の上京の折には蕪村・太祇らと交遊、記念として『五畳敷』を刊行した。
谷口氏。名、世達。字、孟泉。伊勢人。神田お玉が池住、のち芝高輪住。山水・人物をよくする。