富安風生筆五句色紙張り混ぜ額
冨田鋼一郎
有秋小春
漁村晩景
呉春写 印
呉春のこの書体と山肌や岩の皺の描き方は、師蕪村を彷彿とさせる。しかしながら、師の画のような気品と瑞々しさや高貴さは窺うことができない。どこか俗っぽさを感じさせ、近江蕪村とよばれた横井金谷の雰囲気に近いものがある。
「知者は水にあそぶ。仁者は山にたのしむ」(論語)
古代中国では、水や山を世俗から超越したものとして尊重する風があった。これを強めたのが、道教の神仙思想である。山に入って水と遊び、永遠の命を獲得する生き方を人の理想とする。
山水画という美術様式が確立するのは、六朝・唐の時代で、五代・宋になり、多くの巨匠が現れる。これは日本には鎌倉時代後期に禅宗とともに入り、やまと絵にたいして漢画とよばれた。室町時代以降、周文、雪舟らがあらわれ、日本の山水画が成立したといえる。(諏訪春雄『日本人と遠近法』による)
江戸中期の画家。尾張の人。号月渓。
江戸後期の浄土宗の僧侶・絵仏師・文人画家。近江国の生まれ。