正岡子規「もの涼し」短尺幅
冨田鋼一郎
有秋小春
「童子図(おくのほそ道黒羽)」
蕪村は、芭蕉「おくのほそ道」を画巻として何本も描いた。
これは結城下館時代の作品。若い頃から「おくのほそ道」を読み込んでいたのだろう。
那須野黒羽の場面に登場する童子二人。蕪村は、この姉と弟を描いた。
「ちいさき者ふたり馬の跡したひてはしる。独(ひとり)は小姫にて名を「かさね」と云。聞なれぬ名のやさしかりければ、
⭕️かさねとは八重撫子の名成べし 曽良」
裸足で馬を追い駆ける子は継ぎ接ぎだらけ。背の伸びが速いので、衣服の丈が足りず、いつもつんつるてん。肩上げと腰上げして、背丈の伸びに応じて徐々にはずしていく。幼年期をこれ一つで着古す。
日に焼けてぷっくらとした頬。自然の中で育ち、はちきれそうに健康な幼児。こんな子らはそこらじゅうにいたはずだが、日本から消えてしまった逝き過ぎし光景。
子らの手の指に注目!簡略化した描き方だが、撫子の花束とおもちゃの棒をしっかりと手にしている。後年、蕪村がジャンルとして確立した俳画の手法の源がここにある。