小林勇の言葉、『絵筆をもって』より
小林勇の強烈な個性は、つぎの文章にも良く現れている。学んだことは、自分の思い、考えをはっきり述べること。
私が絵手紙を始めたのは、彼の影響を受けたから。
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「戦争中から会えば一緒に絵を描いた中谷宇吉郎も私におとらず熱をあげていた。文芸春秋の池島信平は二人の飲み友達であった。
ある時三人で飲んでいる時、展覧会の話が出た。中谷が乗り気になり、酔っていた私もつい調子にのった。池島が勧進帳になり、二人展をやることになった。
期日が近づいて来ると私はだんだん憂鬱になったが、中谷ははり切っていた。
昭和34年、銀座の文春画廊に二人の絵が合計六十点ほど並べられた。池島が勧進元として案内状を書いた。
当日は知人友人が百人以上集まって、酒を飲んだ。来客はみな、素人としてはうまいとほめた。中には、私に向って、お前は器用な男だなどといった。
私は器用だとか、才気があるといわれるのを好まない。しかし相手はほめる意味でいっているのだから文句をいうわけにはいかない。腹の中で、俺の勉強もしらないで、と思っていた。
絵を描く以上、もちろんうまくなりたい。しかし私にとっては、「うまく」なることよりも「よく」なることの方が大切なのだ。うまい絵は世の中にいくらでもある。よい絵は少ない。
絵や書ほどその人間の本性を表すものはない。卑しい人間は卑しさを表す。薄っぺらな人間は、浅いものを表す。それが絵や字の恐ろしさだ。
絵は人間を表すとしたら、自分がよくなる外に道はない。絵を描くことは、人間の鍛錬道だ。
心が乱れ、下らないことを考え、生活が乱れている時には、絵にそれが表れる。人に教わって技術をいくら覚えても駄目だ。描く本人が人間として生長しなければ、気品のない絵しか出来ない。また本気で描くことで、人間も生長する。絵は自分の鏡で、そこに写る自分の顔が汚いことを恐れるようになる。
自然を見る眼、優れた芸術を理解する眼は、自分で描くことで生長する。」
<池島信平 案内状>
口上
前略 このたび中谷宇吉郎 小林勇両氏の画展にご案内申上げます
展ずるところ各二十点 彫骨苦心の近作で御鑑賞に堪えうるものばかりというのは両名と私のキャッチ・フレーズでございますが御一覧いただければ春興の一つ且つまた新進画人のため新道奨励の意をつくせるかと存じます
どうぞ賑やかに銀座の一角文春画廊までおはこび下さいますようお願いいたす次第です
四月吉日 勧進元 池島信平
初日の夕方には、知人を招いてパーティーを開いた。中谷はむやみに案内状を出し、当日はわざわざ電話で呼び出したりしたので、志賀直哉、梅原龍三郎、安倍能成、小宮豊隆等の老大家はじめ学者や画家が百人以上集まって賑やかだった。
私の絵を欲しいという人がたまたにはあった。なかには貰った絵を忘れて帰る人もあった。欲しくもなし、感心してもいないのにお世辞をいう人のあることに私はうぬぼれるなと反省させるために役立った。会場に並べて見ると絵が一つ一つばらばらで、作者の力量が安定した進歩をしていないことがよくわかった。
かねて、自分の字が下手で、よくないことを考えていたが、並べて人の目にさらして見ると、いっそうはっきりした。書にも少しは関心を持ちながら勉強しなかったことを恥じた。
展覧会をして感じたことはいろいろある。自分の絵が弱いということも、その一つであった。絵の強さはどこから出て来るものであろうか。墨を濃くし、太い線を使って、強さが出るのなら、わけはない。細い線、淡彩の絵にも強いものがあることを考えると、強さは決して大きさや形式や技巧や材料によって出て来るものではなく、描く人間の内にあるものから出てくるのだと改めて考えた。