立原杏所筆「山水図」大幅
冨田鋼一郎
有秋小春
崋山は、著名な絵画だけでなく、膨大な下絵やスケッチ群を遺した。崋山の落款が押されていないため、作者不詳となり、打ち捨てられたものも多い。崋山は明治以降神格化され、多くの贋作が出回り、真贋の判別が難しくなり、うかつに手が出しにくい代表的な画人である。
この「寒山拾得図」下絵は、「華山登先生筆 梧庵 印」とメモ書きが添えられている。寒山拾得のなだらかな衣紋線、淡い淡彩など筆遣いには衒いがなく、楽しみながら絵筆を運んだことが窺われる。
高木梧庵は崋山の付き人で、崋山の主だった旅には随行するので、崋山の紀行文には名前がよく登場する。また、夜道中の宿舎などで、崋山から絵の手ほどきもうけたようだ。崋山のもっとも身近にいた絵の弟子による添え書きがあるのが貴重である。
渡辺崋山は、19世紀の日本が生んだもっとも偉大な人物だと思う。
高木梧庵(たかぎごあん)