午後2時のモミジアオイ
冨田鋼一郎
有秋小春
杜撰なマイナンバーに、荘子の言葉「機事ある者は、必ず機心あり」を想う。
「機心」に気をつけろ。これは現代人に対する重大な警告だ。
人間は道具を生み出して文明・文化が創造された。人類の歴史は、機械の発明・発達史と言っていい。
ところが「機心」が膨らんで一層忙しくなり、人間の精神は貧しくなってしまった。
マイナンバーの不具合の報道で一昔前に消えた年金台帳記録が大問題になったことを思い出した。
あの時の教訓は活かせず、同じことを繰り返す。
委託を受けた企業と行政が結託して、わざと不具合なものを作り続けて、税金を食い物にしているのではとさえ疑ってしまう。
わたしは「ものづくり」が嫌いだ。「ものづくり大学」などという奇天烈な大学ができた頃だ。今でもあるのか。日本のクラフトマンシップを誇りたいのだろうが、その体たらくが今の姿だ。求められるのは「ものづくり大学」ではなく、「こころづくり大学」だろう。
何のために便利な道具を作るのか。人間らしく生きるためだ。
肉体労働から解放されて、楽になって、得た時間を人生の愉しみ、思索、無為に過ごすゆとりにあてるのが目的だったはずだ。
目的意識をしっかりしなければ、際限のないもっともっとと「機心」のまま死んでしまう。
「人の心まで溶かす」恐れのあるチャットGPTの出現を前に、高原の樅木の木立のもとで、こんな思いに耽った。