墓参
冨田鋼一郎
有秋小春
今日、文京区立森鷗外記念館に行って来た。
ここには長年の大勢の人による研究の蓄積が詰まっている。新設の新宿区漱石記念館では歴史の差は及びもつかない。
今回の「鷗外遺産」は、書簡、原稿をふんだんに使っていて見応えがあった。
展示から書き留めた文章抜粋をいくつか。
「一寸舞台から降りて、静かに自分といふものを考へて見たい、背後(うしろ)の何物かの面目を覗いて見たい。(中略)此役が即ち生だとは考へられない。背後にある或る物が真の生てはあるまいかと思はれる。」(妄想)
鷗外50歳、『カズイスチカ』の直後に書いた『妄想』。もう一度読み直す。自分の決断でなく、周りのどうしようもない抗うことができないことで人間は生かされていく。
「舞台で見事に演じきった」人で思い出すのは、ロナルド・レーガン。
鷗外の抱いた「諦念」。鷗外、漱石だけでなく、明治を重層的に味わうには、子規、露伴、紅葉にももっと目を配りたい。