富岡鉄斎筆「老婆売六角扇」画幅
冨田鋼一郎
有秋小春
いざよひも座をゆずられて月見哉
二柳 印「三四坊」
「昨夜の名月は見事なものでしたね。今宵の十六夜の月もようやく出てきましたよ。さあ、さあ、こちらの方がよくご覧になれるでしょう。こちらでとくとご観覧ください。」
「お気遣いいただき、ありがとうございます。それでは遠慮なく座らせていただくことにしましょうか。これは、これは、昨夜とはまた一味ちがった情趣あふれる風情の月ですなあ。」
「いざよひも」の「も」によって、昨晩も名月を賞玩したとわかる。季節がよくなり、秋草や虫の音、夜露や涼風など、風物のたたずまいが一層月を明澄にする。穂芒を挿し、月見団子や新芋・枝豆などその年の初物を供えて月を祀った。
画は、頭巾をかぶった俳人とその客だろうか。縁側に出て、ゆずりゆずられながら月夜を見上げる二人。べたりと座り込んだり、上半身を起こしながらも腹這いに臥している姿は、十六夜というより、もはや翌日からの立待月、居待月を待つ姿勢に近くなってしまっている。
月見は、江戸時代の人々のささやかな、大事な楽しみのひとつ。満月の夜だけでなく、数日をかけてさまざまな月の欠け方、月の出の遅れを楽しんだ。
月にこのように名前がついている言語はほかにあるのだろうか。現代の私たちが忘れかけている日本人の自然を愛でる姿勢がここにある。
<いざよひ(秋)>
十六夜:陰暦8月15日、「中秋の名月」の翌16日の夜のこと。転じて名月の翌夜の月。満月よりも出が少し遅れるので、ためらう意の「いざよふ」をあて、「いざよふ月」ともいう。名月とはまたちがった情趣がある。
江戸時代中期から後期にかけての俳人。別号、桃左、三四坊、二柳庵、不二庵、不二、七杉堂など。加賀山中の人。さらに和田希因の門に入り、これの門に二株の柳があったところから二柳と改号した。